【魔道祖師/陳情令】「忘羨」のリフレインとして読む「義城編」―義城における人物役割論―

 『魔道祖師』原作小説において、「朝露」「草木」二つの章の中で語られる物語「義城編」。「義城」と呼ばれる街で起こる怪事件と過去の惨劇、そしてその真相について言及される物語群の通称です。
 「たった二章」と思われる方もいるかもしれません。しかし、そのわずか二章には、およそ十年にも及ぶ四人の人物の因縁と、その因果の帰結するまでが情緒的に描かれており、とても「たった二章読んだだけ」とは思えないほど緻密に作り込まれた物語となっています。
 この「義城編」、それを単独の物語として分析しても十分におもしろいのですが、これを『魔道祖師』の主人公である魏無羨と藍忘機という二人の人物をめぐる、およそ二十年の物語の「再演」として読むことができるというよりは、そのように読ませるための数々の類似点が意図的に示されているのです。この点にお気づきの方は決して少なくはないと思いますので、そういった方の目には本稿の内容は大変な野暮のように映るかもしれません。
 本稿の目的はタイトルの通りです。以下の文章では『魔道祖師』作品内における一箇物語群「義城編」を、「魏無羨と藍忘機をめぐる物語」のリフレインとして読むための指摘を行なっていきます。
 よって本稿では、筆者が個人的に比較した「魏無羨と藍忘機をめぐる物語」と「義城編」の共通点、類似点、および相違点をもとに、「義城編」主要登場人物である暁星塵、宋嵐、薛洋、阿箐の四名のキャラクター、彼らが作中で担う役割について物語論の観点から言及していきます。
 本稿で筆者が指摘する論旨は、すべて筆者が個人の視点から独自に論じるものであり、他者の考察や二次創作を否定する意図は一切ございません。
 なお本稿には、原作小説『魔道祖師』本編、および実写ドラマ『陳情令』のネタバレを含みます。

1、暁星塵≒魏無羨から導き出される役割対立

 まず本章では、義城編における主要登場人物のうち、暁星塵宋嵐について言及していきます。暁星塵と宋嵐は、非常に親しい間柄であることが作品内において幾度も強調されている一方で、親しい二人の決別が義城編で描かれる悲劇の発端として機能します。
 暁星塵と宋嵐、二人の関係にかかわる言及を、簡体字版『魔道祖師』原作本文から以下に二点引用します。筆者による日本語訳は、なるべく意訳はせず直訳に近い形で訳していますが、もし誤訳等ありましてもご容赦ください。

众家见此品貌清明、修为了得的年轻道人,大为心折,纷纷送出邀请。晓星尘却全部婉言谢绝,明言不愿依附于任何世家却和一位至交好友一起,一心要建立一个全新的不重视血缘联结的门派。(「朝露」)
【身なりよく、実力も充分な若い道士(※注①:暁星塵)を見た多くの世家は、大いに敬服し、次々に彼を門派に招こうと尽力した。しかし、暁星塵は仙門世家に依存することをよしとせず、それらの招待のすべてを丁寧に断り、最も親しい友人とともに、血縁を重んじることのない新しい門派を設立することを決意した。】

晓星尘只身出山,并无亲人,只有一位下山之后结识的好友,叫做宋岚。这位宋岚也是当时的一位道门名士,为人清傲,风评亦优。两人都想自建门派,轻血缘传承,重志同道合,可说是知交好友,志趣相投。时人赠语:明月清风晓星尘,傲雪凌霜宋子琛。(「朝露」)
【暁星塵は一人で山を下り、相識といえば下山の後に出会った友人が一人いるだけであり、彼は名を宋嵐と言った。この宋嵐という人は当時、道士の中で最も立派であると名高い孤高の人であり、世間における評判は非常に優れていた。彼らは血縁にかかわらず、志を重んじる新しい門派を築くという同じ目標を持っており、知己と呼んでも過言ではないほど親しい間柄であった。世間の人々は彼らを「明月清風の暁星塵、傲雪凌霜の宋子琛」と褒めたたえた。】

 上記の引用部にも明らかなように、暁星塵と宋嵐は出自こそ異なれど、同じ志を持つ〈知己と呼んでも過言ではないほど親しい間柄〉として描かれます。彼らは文字通り、唯一無二の友であるわけです。
 この言及を見る限り、彼らの在り方は言わずもがな魏無羨と藍忘機の関係性を、読者に想起させるはずです。『魔道祖師』あるいは『陳情令』の凡その結末を知っている人ほど、とりわけそのように読むことができるのではないでしょうか。
 実際、実写ドラマ『陳情令』においては、暁星塵と宋嵐/魏無羨と藍忘機という二項関係の類似性は原作よりも意図的に、何なら露骨すぎるほどに表現されています。例を挙げるならば、櫟陽での彼らの邂逅が最も印象的でしょう。
 『魔道祖師』原作では、生前の魏無羨は暁星塵、宋嵐の両者と実際に会うことがないまま、不夜天の惨劇で命を落とします。しかし『陳情令』では原作と異なり、櫟陽常氏虐殺の現場を訪れた魏無羨と藍忘機は、薛洋を追って現れた暁星塵、また、暁星塵を追って現れた宋嵐の両者と、この場ではじめて遭遇することになります。そこで「血縁より志を重んじる」と語る暁星塵と宋嵐に感銘を受けた魏無羨は、「俺と藍湛も同じ志を持つから、二人組になって夜狩に」と語るのです。この台詞では明らかに、魏無羨は己と藍忘機の関係性を、暁星塵と宋嵐の在り方になぞらえて語っています。
 さらに、暁星塵は抱山散人の弟子であることが判明し、暁星塵が魏無羨の師叔(魏無羨の実母は抱山散人の弟子)にあたるという関係性が明らかにされます。この時点で「暁星塵≒魏無羨」という二項関係が意図的な類似性をもって示されていることは、誰の目にも明らかです。
 そうすると、宋嵐と藍忘機についても、彼らの役割における類似性は自然と指摘できるように思えます。暁星塵の知己として描かれる宋嵐と、魏無羨の知己として描かれる藍忘機。二人の立場は類似しており、二人の担う役割が対応関係にあると考えても何ら違和感はありません。
 しかし宋嵐と藍忘機の二項関係は、あくまでこの時点ではスリードに過ぎないのです。

 先にも述べたとおり、親しい関係であった暁星塵と宋嵐、両者の決別が悲劇の発端となるのですが、そのすべての因果の始まりとも言えるのが暁星塵による薛洋への糾弾と、薛洋による白雪閣の襲撃です。
 夷陵老祖・魏無羨の死後、蘭陵金氏は陰虎符の修復が可能な存在として見込んだ薛洋を、彼らの庇護下におきます。しかし、金氏の客卿となった薛洋はある時、己の報復のために櫟陽常氏一門を虐殺し、その首謀者として暁星塵に糾弾されることになります。この時、暁星塵に激しく糾弾され、罪に問われた薛洋は、暁星塵への憎悪を抱くに至り、その憎悪がやがて報復へと発展するのです。
 以下、暁星塵による糾弾から薛洋の報復まで、一連の出来事にかかわる叙述を原作本文から引用します。

兰陵金氏虽一心包庇薛洋,晓星尘却软硬不吃。两边僵持不下,终于惊动了并未参与此次清谈盛会的赤锋尊聂明玦,引得他从别处飞赴金麟台,赶来出面。
聂明玦虽是金光善的后辈,但他为人严厉,绝不容忍,绝不姑息,一番痛斥,弄得金光善好没面子,讪讪无话。(中略)最终,兰陵金氏无法,只得让步。
薛洋被晓星尘抓上金麟台后,(中略)被架下去之前,他还对晓星尘很是亲热地说:“道长,你可别忘了我呀。咱们走着瞧。”(「朝露」)
【蘭陵金氏は一心に薛洋を庇い立てたが、暁星塵は決してそれを容認しなかった。両者はにらみ合いを続け、ついにはこの会談に参加しなかった赤鋒尊、聶明玦までもが勧告を受け、金麟台へと駆けつける事態となった。
聶明玦は金光善の後進であったが、彼は厳格な人柄で金氏の行いを決して容認せず、厳しく非難したので、顔に泥を塗られた金光善はきまりが悪く、それ以上薛洋を庇うことができなかった。(中略)結局のところ、蘭陵金氏には打つ手がなく、譲歩するほかなかったのである。
暁星塵に金麟台で捕えられた後、(中略)彼は暁星塵に親しみを込めて「道長、俺を忘れるなよ。楽しみにしていろ」と言った。】

而薛洋被放出来后,果然再一次展开了他的报复。不过这一次,他并没有报复在晓星尘本人身上。
(中略)
薛洋便挑了这边下手,故技重施,将宋岚从小长大学艺的白雪观灭了个干净,并且偷施暗算,用毒粉毒瞎了宋岚的一双眼睛。(「朝露」)
【薛洋は解放された後、案の定というべきか、再び復讐をはじめたのである。しかし今回ばかりは、暁星塵本人に対する報復ではなかった。
(中略)
薛洋はこの友人(※注②:宋嵐)に目をつけ、過去の報復の手口を繰り返したため、宋嵐が幼い頃から学んだ白雪閣は跡形もなく滅ぶこととなった。さらに薛洋は、ひそかに毒粉を用いて宋嵐の両目を盲目にしたのである。】

 暁星塵の厳しい糾弾の結果、金光善の釈明もむなしく、薛洋は櫟陽常氏虐殺の首謀者として罪に問われます。しかしその後、虐殺事件の生き残りである常萍が主張を覆したことにより、薛洋は再び解放されることになります。解放後、薛洋は己を罪人として糾弾した暁星塵への報復を実行に移すのですが、〈暁星塵本人に対する報復〉ではなく、その友人である宋嵐に目をつけ、彼の両目を奪います。
(※この時、薛洋がなぜ宋嵐に目をつけたのか、なぜ宋嵐の両目を奪ったのかについて、本稿では引用等を用いて言及しませんが、原作番外編「悪友」にその動機が描かれているので気になる方はぜひ読んでみてください。)

 義城編における宋嵐の役割を考察するうえで、決定的な出来事はこの後に起こります。薛洋による白雪閣の襲撃後、宋嵐と暁星塵は一度袂を分かつことになるのですが、その経緯について薛洋が語る場面を以下に引用します。

薛洋又道:“你是用什么立场来谴责我的?朋友?你好意思说自己是晓星尘的朋友吗?哈哈哈哈宋道长,需不需要我提醒你一下,我屠了白雪观之后,你对晓星尘是怎么说的?他担心你要来帮你,当时你对着他是什么神情?说了什么话?”
宋岚心神大乱,道:“我!我当时……”
薛洋直接把他堵了回去:“你当时正悲愤?正痛苦?正伤心?正愁没处撒火?所以迁怒于他?说句公道话,我屠你的观的确是因为他,你迁怒于他也是情有可原,而且正中我下怀。”
(中略)
薛洋道:“唉!说‘从此不必再见‘的到底是谁?难道不正是你自己吗宋道长?他听从你的要求,把眼睛挖给你之后就从你前面消失了,现在你又为何要跑来?你这不是让人为难吗?晓星尘道长,你说是不是?”(「草木」)
【薛洋はまた「お前はどんな立場で俺を責める? 奴の友? 暁星塵の友を名乗って恥ずかしくないのか? 宋道長、俺が白雪閣を滅ぼした後、お前が暁星塵に放った言葉を思い出させてやる必要があるようだ。奴がお前を助けに来た時、お前は奴の顔を見たか? 奴に何と言った?」と尋ねた。
宋嵐は「私は! 私は、あの時……」と、ひどく取り乱している。
薛洋は彼の言葉を遮って「悲しみ憤った? 苦痛に耐えられなかった? 心が傷ついた? 捌け口がなかった? だから怒りの矛先を奴に向けた? 俺が白雪閣を滅ぼしたのは奴が原因で、お前が奴に怒りをぶつけるのは当然だ。そして、それは俺の思うつぼだった」と語った。
(中略)
薛洋は「そうだ!『もう会う必要はない』と言ったのは誰だ? 宋道長、お前自身だろ? 奴はお前の要求どおり、お前に目を与えて姿を消したのに、なぜまた現れる? 苦しませるだけだと思わないのか? 暁星塵道長、そうだろ?」と言った。】

 以上の言及に明らかなように、宋嵐は白雪閣が滅び、己が両目を失った憤りの矛先を暁星塵に向けたのです。彼は暁星塵を責めたて、挙句の果てに「もう会う必要はない」と語り、暁星塵を突き放します。なぜなら、白雪閣の襲撃はすべて暁星塵への憎悪が原因で行なわれた報復であり、宋嵐と白雪閣の人間には一切の非がないと彼は考えているからです。
 そして、宋嵐の憤りを目の当たりにし、己に責任を感じた暁星塵は宋嵐へ己の〈目を与えて姿を消した〉のです。

晓星尘当初别师离山,发过誓不再回去。他极重诺言,但宋岚双目已盲,又受了重伤,他便破了自己的誓言,背着宋岚重返抱山散人之处,请求师尊救治好友。
抱山散人念在师徒一场,答应了他的请求。晓星尘便下山离去,从此不知所踪。
再过一年,宋岚也出了山。世人惊奇,他竟然连当初瞎得彻底的一双眼睛都重见光明了,可事实上,并非是抱山散人医术出神入化,而是晓星尘……自挖双眼,把眼睛还给了受他所累的宋岚。(「朝露」)
【暁星塵は山を離れる時、二度と山には戻らないことを誓っていた。彼はこの誓いについて非常に真剣に受け止めていたが、宋嵐が両目を失ったことで、彼は自己の制約を破り、宋嵐を背負って抱山散人の元へ戻り、友人を救うよう師に懇願したのである。
抱山散人は己の弟子を憂い、彼の要求に同意した。暁星塵は再び山を下り、その後の行方を知る者はいない。
その一年後、宋嵐も山を下りた。世人は、彼が当時盲目になったにもかかわらず、再び両目が見えるようになったことに驚いた。しかし実際には、抱山散人の絶技的な医術が駆使されたわけではなく、暁星塵――彼が己の両目を抉り、宋嵐に与えたのである。】

 薛洋の襲撃により、幼い頃から学んだ白雪閣と己の両目を失った宋嵐は、その責任が暁星塵にあるとして彼を責めたてました。それが原因で、暁星塵は己の両目という身体の一部を宋嵐に与え、彼の前から姿を消し、唯一交流のあった宋嵐とさえ距離を置くことで世俗から孤立することになります。
 この一連の出来事、どこかで見たことがある話ではないでしょうか。指摘されるまでもなくお気づきの方も多いと思いますが、これは生前の魏無羨と江澄の金丹をめぐる物語と非常に酷似しているのです。
 岐山温氏による蓮花塢襲撃の後、金丹を失った江澄は、江氏が襲撃を受けたのは魏無羨のせいであると彼を責めます。そして魏無羨は温情、温寧姉弟の協力のもと、江澄に己の金丹を与え、それが原因で正道を歩むことができなくなり、仙門世家のなかで孤立していくことになります
 このように、生前の魏無羨≒暁星塵が孤立していく過程を考えると、江澄と宋嵐には非常に多くの共通点を指摘することができます。江澄が蓮花塢襲撃の責任を魏無羨に糾弾したように、宋嵐もまた、白雪閣襲撃の責任を暁星塵に問いました。そして魏無羨が江澄に金丹を与えたように、暁星塵は宋嵐に両目を与え、彼らは世俗から孤立していくことになるのです。これらの過程を見る限り、この時点で宋嵐が担う役割には、藍忘機ではなく江澄との類似性が強調されていることは明らかです。

金光瑶不为所动,继续微笑着侃侃而谈:“……当时兰陵金氏、清河聂氏、姑苏蓝氏三家相争,已经分去了大头,其他人只能吃点小虾米,而你,刚刚重建了莲花坞,身后还有一个危险不可估量的夷陵老祖魏无羡。你觉得其他家族会高兴看到一个拥有如此得天独厚之势的年轻家主吗?幸运的是,你和你师兄关系好像不太好,所以大家都觉得有机可乘,当然能让你们分裂反目就尽量推波助澜。(中略)江宗主,但凡你从前对你师兄的态度表现得好一点,显得你们之间的联盟坚不可摧,让旁人知难而退不试图挑拨,或是事发之后你多一丝宽容,事情也不会变成后来的样子。啊,说起来,围剿乱葬岗的主力也有你一份呢……”(「恨生」)
【金光瑶は一切動揺を見せず、微笑んで話し続けた。「……当時、蘭陵金氏、清河聶氏、姑蘇藍氏の三家が競い、小さな世家には干渉の余地さえなく三世家が勢力を形成した。一方、蓮花塢を再建したばかりのお前の背後には、計り知れず危険な存在である夷陵老祖、魏無羨がいた。そのような状況にある年若い家主を、他の世家が歓迎したと? 幸いにも、お前と師兄の関係は良好とは言いがたく、誰もがお前たちを反目させる隙を狙っていたのだ。(中略)江宗主、もしお前が、この師兄を少しは厚遇し、お前たちの結束は固いと示し、人々に隙を見せなければ、もしくは、事が起きても寛大に処置していたら、その後のような悲劇は起きなかったかもしれない。ああ、そういえば、乱葬崗の討伐には、お前も加わったのだった」】

 上記に引用した金光瑶の言及にも明らかですが、作中における江澄の役割を一面的に単純化して考えると、最後まで味方する立場にあるはずの人間が、やむを得ず反目することで、魏無羨を孤立させることに収束します。ゆえに、類似の過程をもって暁星塵を孤立させた宋嵐は、この時点で「魏無羨(≒暁星塵)を孤立させた江澄」と同一の役割を担っているということができるでしょう。
 その後、宋嵐と袂を分かった暁星塵は、遊歴のなかで放浪の少女、阿箐に出会います。阿箐も非常に重要な役割を担う人物であるため、後述にて詳細に触れますが、本章では一旦割愛します。
 暁星塵と阿箐、二人が辿り着く場所が物語の中心的な舞台となる「義城」と呼ばれる街です。この義城という特殊な場所もまた、「魏無羨と藍忘機をめぐる物語」と「義城編」における類似点の創出のため、意図的に設定された空間であると考えられます。
 以下、本章の最後まで、物語における「空間」について言及していきます。興味のない方は二章まで読み飛ばしてください。

 先にも述べましたが、義城編で暁星塵が置かれる境遇は、「魏無羨と藍忘機をめぐる物語」における魏無羨の立場と非常に酷似しています。そして、宋嵐と袂を分かった暁星塵が義城に辿り着いたように、江澄と袂を分かち、専門世家から孤立した魏無羨は温氏の人々を匿うため、乱葬崗へと向かいます
 以下、魏無羨と藍忘機が義城という街の特異性について語る場面を、原作本文より引用します。

魏无羡道:“这条路通往义城。石碑上的第一个字是‘义’字。”
蓝忘机道:“侠义之义?”
魏无羡道:“也对,也不对。”
蓝忘机道:“何解。”
魏无羡道:“字的确是那个字,意思却不对。非侠义之义,乃义庄之义。”
他们踏着乱丛杂草走上这条岔路,将那块石碑甩在身后。魏无羡继续道:“这几位姑娘说,自古以来,住在那座城里的人十之六七都短命,要么短寿要么横死,城中供置放尸体的义庄非常多再加上当地特产棺材纸钱等丧葬阴奉之物,无论是做棺材还是扎纸人都手艺精湛,所以就叫了这个名字。”(「草木」)
【魏無羨は「この道は義城に通じている。石碑の最初の文字は『義』という文字だ」と言った。
藍忘機は「狭義の義か?」と尋ねた。
魏無羨は「そうだけど、そうじゃない」と答えた。
藍忘機は、再び尋ねた。「というと?」
魏無羨は「字は確かにその字であっているが、意味が違う。狭義ではなく、義荘の意味だ」と言った。
彼らは雑草だらけの岐路を行き、石碑を後にした。魏無羨は続けて語る。「さっきの少女たちが言うには、昔から義城に住む人々は十人のうち六、七人は短命か、あるいは変死を遂げるため、遺体を安置する義荘が多くあるらしい。さらに、義城では棺や冥銭のような埋葬物を作るのが盛んで、職人の腕がよく、この名前がつけられたとか」】

 さらに、以下には乱葬崗にかかわる温晁の言及を引用します。

温晁就在这座山的上方停住了。他道:“魏婴,你知道,这是什么地方吗?”
他桀桀笑道:“这个地方,叫做乱葬岗。”
听到这个名字,一道寒气顺着魏无羡的背脊爬上了后脑。
温晁继续道:“这个乱葬岗就在夷陵,你们云梦那边肯定也听过它的大名。这是一座尸山,古战场,山上随便找个地方,一铲子挖下去,都能挖到一具尸体。而且有什么无名尸,也都卷个席子就扔到这里。”(「三毒」)
【温晁は、ある山の上で静止した。彼は「魏嬰、お前はここがどこだか知っているか?」と尋ねた。
彼は笑って「ここは乱葬崗と呼ばれている」と言った。
その名を聞いて、魏嬰の背を寒気が走った。
温晁は続けて語った。「乱葬崗は夷陵にあり、雲夢でもその名を聞いたことがあるはず。無縁塚でもある古戦場で、山を掘り起こせば屍が出てくる。一体どれだけの無名の屍が、ここに捨てられたことだろう」】

 上記二つの引用部で語られているように、義城は遺体の安置される義荘が数多く存在する街であり、一方の乱葬崗は屍の捨てられた古戦場で、無縁塚でもあります。このように義城と乱葬崗は、どちらも死を暗示する場所で、死者のための空間として設定されているのです。
 孤立後、意図せず死を暗示する場所へ辿り着く暁星塵と魏無羨。これもまた、類似する状況に置かれた彼らの共通点の一つであり、彼らの辿る末路を考えれば、これらの空間の設定も適切であると考えることができるでしょう。
 そして義城に辿り着いた暁星塵と阿箐は、そこで何の因果か、傷を負い瀕死の状態の薛洋を保護することになるのです。これもまた、魏無羨が乱葬崗で温氏の人々を匿うことに類似しています。
 魏無羨と温氏の人々、暁星塵と阿箐、薛洋。これらはまた、作中に頻出する機能不全実家族の対比として描かれる擬似家族のひとつの例であり、『魔道祖師』を論じる上で大変おもしろい観点なのですが、本稿の趣旨からは大きく外れるため、別稿で触れることができればと思います。

2、暁星塵(≒魏無羨)を陥れる役割としての薛洋

 先の章では、暁星塵の置かれる状況が生前の魏無羨と酷似している点を軸として、宋嵐と江澄の担う類似的な役割について言及していきました。続いて本章では、薛洋の役割について考えていきます。
 先の章の最後でも触れましたが、義城に辿り着いた暁星塵と阿箐は、その入り口で重傷の薛洋を発見し、保護します。

算算时间,此时应是在金光瑶上位仙督之后。薛洋眼下如此狼狈,一定是刚刚从金光瑶的“清理”下死里逃生。金光瑶没把人打死,自然不好意思声张,又或许是相信他活不下来,便对外宣称已清理掉了。偏偏祸害遗千年,薛洋奄奄一息之际,却被老对头晓星尘救了回来。可怜晓星尘根本不会想到要仔细去摸这个人的脸,阴错阳差地救了把自己害到如此境地的仇人。阿箐虽然看得见,但并非仙门中人,不识薛洋,更不知他们之间的似海深仇,她甚至连晓星尘叫什么名字都不知道……(「草木」)
【時間を計算すると、これは金光瑶の仙督就任後でなければならない。薛洋は非常に追い詰められているように見え、おそらく金光瑶の「清理」の後、命拾いした矢先である。金光瑶は彼を殺さなかったので当然きまりが悪く、あるいは、彼が生き延びることは不可能であると確信していたため、それをすでに片づけたと公言したのだろう。あいにくと、憎まれ者は世にはばかる。薛洋は死の瀬戸際でかつての仇敵である暁星塵によって救われた。哀れな暁星塵は、この男の素性を注意深く探ることを決して考えず、偶然が重なり、かつて彼を傷つけた仇敵を救ってしまった。阿箐の目は彼らを見ることができるが、彼女は仙門の人間ではなく、薛洋を知らず、さらに彼らの間に横たわる海のように深い因縁も知らない。彼女は暁星塵の名前すら知らないのである……。】

  意図せず薛洋を救うこととなった暁星塵ですが、彼は宋嵐のために両目を失っており、救った相手が己の仇敵であると知ることができません。阿箐もまた仙門の人間ではないため、薛洋の素性も、暁星塵と薛洋の間にある因縁も知るすべがないのです。知らないからこそ、彼らは薛洋へ、無償で救いの手を差しのべました。
 そして、暁星塵に命を救われた薛洋が憎しみを捨て改心するかというと、当然そのはずもなく、薛洋はここで再び暁星塵への報復を企てます。盲目の暁星塵を騙し、無辜の村人を殺させることで彼を陥れようと画策するのです。以下の二つの引用は、阿箐が目撃した夜狩での出来事を共情によって魏無羨が目の当たりにする場面と、義城を訪れた宋嵐に薛洋が自らの所業を語る場面です。

晓星尘站在一地横七竖八的村民尸体里, 收剑回鞘, 凝神道:“这村子里竟然没有一个活口?全是走尸?”
薛洋勾唇微笑,可从他嘴里传出的声音听起来却十分惊讶不解, 还带了点沉痛, 道:“不错。还好你的剑能自动指引尸气,否则光凭我们两个人, 很难杀出重围。”
晓星尘道:“在村子里再察看一次吧, 如果真的没有活人留下了, 就把这些走尸都尽快焚烧了。”
(中略)
阿箐一连翻看了好几具尸体,翻起他们眼皮,俱是白瞳,还有几个人脸上已经爬满了尸斑,松了口气。但魏无羡一颗心却越沉越低。
虽然这些人看上去很像走尸,但,他们真的都是活人。
只不过是中了尸毒的活人。(「草木」)
【暁星塵は村人の屍の入り乱れるなかに立ち、剣を鞘に納め「この村に生き残りはいないのだろうか? 走屍ばかりか?」と尋ねた。
薛洋は口元に笑みを浮かべ、しかし非常に不可解な憐憫に満ちた口調で「そうだ。お前の剣が走屍の元に導かなければ、俺たち二人で始末するのは難しかっただろう」と言った。
暁星塵は「では、もう一度村を捜して生存者がいなければ、はやく走屍を焼き捨ててしまおう」と言った。
(中略)
阿箐はいくつかの屍のまぶたをまくり上げたが、彼らの瞳孔はすべて白く、またいくらかの屍の顔は屍斑で覆われていたため、安堵して息を吐いた。一方で、魏無羨の心中はますます暗然と沈んでいく。
村人たちは一見すると屍のように見えるが、しかし実際には、彼らは生きている。
それは、屍毒に侵された生きた人間である。】

“当”的一声,薛洋把朝他眼睛刺来的一剑格开,道:“好吧,这是你非要听的。你知道,你那位好道友、好知交,干了什么吗?他杀了很多走尸。斩妖除魔,不求回报,好令人感动。他虽然把眼睛挖给你,成了个瞎子,但是好在霜华会自动为他指引尸气。更妙的是,我发现只要割掉那些中了尸毒的人的舌头,让他们无法说话,霜华也分不出活尸和死尸,所以……”(「草木」)
【「ダン」という音の後、薛洋は宋嵐の目に向けた剣を降ろして言った。「そんなに聞きたいのなら、仕方ない。お前のお友達の道士が、何をしているか知っているか? 奴は走屍を斬っている。見返りを求めず、魔を除き、実に感動的だ。奴は目を抉り、お前に与え、光を失ったが、幸い霜華はおのずと屍を引き寄せる。さらに面白いことに、屍毒に侵され、舌を斬り落とされ、話す手段を失った相手ならば、霜華は人間と屍の区別ができない。だから……」】

 薛洋は〈屍毒に侵され、舌を斬り落とされ〉た相手を人間か屍か区別することができないという霜華の致命的な欠陥を利用し、暁星塵に無辜の村人たちを殺害させます。当然、盲目の暁星塵にはそれが生きた人間であることを知るすべはありません。彼は薛洋に騙されるまま、村人たちの殺害を重ねていきます。
 そして、ついに暁星塵は、己の唯一の友である宋嵐をもその手にかけるのです。

突遭薛洋暗算,被割去了舌头,宋岚现在痛得几乎行走不得,然而,他还是将剑从地上拔出,踉跄着朝薛洋刺去。薛洋轻轻松松闪身避过,满面诡笑。
下一刻,魏无羡就知道他是为什么露出这种笑容了。
霜华的银光,从宋岚的胸口刺入,又从他的后背透出。
宋岚低头,看着穿过了自己心脏的霜华剑锋,再慢慢抬头,看到了手持长剑,面色平和的晓星尘。(「草木」)
【突然, 薛洋に舌を切られ、宋嵐はほとんど歩くこともままならず、それでも剣を地面から引き抜き、よろめきながら薛洋に剣を向けた。雪陽はたやすく身をかわすと、怪しげに微笑んだ。
次の瞬間、魏無羨は薛洋がこのような笑顔を見せた理由を知る。
霜華の銀色の光が宋嵐の胸を突き刺し、背を貫いた。
宋嵐は頭を下げ、己の心臓をつらぬく霜華を見て、ゆっくりと頭を上げ、剣を持つ暁星塵の穏やかな表情を見た。】

 盲目の暁星塵は霜華に導かれるまま、それが宋嵐であるとは知らず彼の胸に剣を突き立てました。元来高潔な志を持つ暁星塵にとって、無辜の人々を手にかけたという己の過ちを受け入れることが、非常に大きな苦痛を伴うことは言うまでもありません。ゆえに、宋嵐は暁星塵の行った一切の殺戮を、彼に認知させないことを選びます。
 しかし、宋嵐の覚悟もむなしく、やがて暁星塵は事の真相と己の罪を知ることになります。以下、薛洋が夜狩の真実を暁星塵に明かす場面を原作本文から引用します。

魏无羡的脑中传来一阵又一阵尖锐的疼痛。这疼痛却不是从阿箐的魂魄那边传来的。
晓星尘狼狈不堪地跪在地上,伏在宋岚脚边。他缩得很小很小,仿佛变成了很虚弱的一团,恨不得消失在这个世界上,原本洁白无暇的道袍已沾满了鲜血和尘土。薛洋冲他喝道:“你一无事成,一败涂地,你咎由自取,你自找的!”
这一刻,在晓星尘身上,魏无羡看到了自己
一个一败涂地,满身鲜血、一事无成,被人指责、被人怒斥,无力回天,只能嚎啕大哭的自己!(「草木」)
【魏無羨の頭に鋭い痛みが走った。この痛みは阿箐の魂からもたらされたものではなかった。
暁星塵は狼狽え、地面に跪き、宋嵐の足元に崩れ落ちた。非常に小さく、惨めで、弱々しく、この世界から今すぐ消えてしまいたいと望む彼の純白の道衣は、血と塵で汚れていた。薛洋は彼に怒鳴った。「お前は何ひとつ為せず、過ちを犯し、自業自得で、すべて身から出た錆じゃないか!」
この時、暁星塵の身に、魏無羨は己自身を見た
取り返しのつかない過ちを犯し、血に汚れ、何ひとつ成し遂げることはできず、万人の怒りの矛先となり、時勢を覆す力もなく、ただ声を上げて泣き叫ぶことしかできなかった、あの時の自分!】

忽然,晓星尘抓起委地的霜华,调转剑身,锋刃架上了颈项间。一道澄净的银光划过薛洋那双仿佛暗无天日的幽黑眼睛,晓星尘松开了手,殷红的鲜血顺着霜华剑刃滑下。(「草木」)
【突然、暁星塵は地に落とした霜華をつかみ、刃を己の首にあてがった。澄んだ銀色の光が薛洋の仄暗い闇に満ちた両目に届いたとき、暁星塵の手が力をなくし、暗紅色の血が霜華の刃をすべり落ちた。】

 暁星塵はここに至って、ようやく己が無辜の村人と唯一無二の親友を手にかけたことを知らされます。数年もの間騙され続け、仇を友と信じて過ごし、善意を踏みにじられ、無二の親友すら手にかけた暁星塵は、到底己の罪を受け入れることができず、絶望の末に自害を選びます。
 そしてこの場面において、魏無羨が暁星塵の末路と己の過去とをオーバーラップすることにより、ようやく暁星塵と魏無羨は完全に同義の存在として描かれるのです。魏無羨は江澄と袂を分かった後、窮奇道で蘇渉の策略により正気を失った温寧が、金子軒、金子勳ら無辜の子弟たちを殺害したことによって世家への叛逆の罪を着せられます。さらに不夜天の決起大会において、意図せず江厭離を死に至らしめたことによって、魏無羨は己の死を覚悟しました。
 魏無羨の死因について原作では明言されていませんが、ドラマ『陳情令』では自害として描かれました。『陳情令』では、魏無羨と暁星塵に同一の死因という共通点を与えることによって、意図的に二人を同一化したのだと考えられます。
 そして薛洋ですが、義城編において彼が担う役割は明らかに「暁星塵を陥れ、死に至らしめること」です。暁星塵が薛洋の手によって陥れられたように、生前の魏無羨を利用し、陥れようと画策した人間は数多く存在しました。金光善、金光瑶、蘇渉、あるいは、悪意はなくとも結果的にその存在が魏無羨を陥れることになってしまった温寧。薛洋がこの時点で担うのは、彼らと同一の役割だと言えるでしょう。
 なかでも、生前の魏無羨と暁星塵の立場を照らし合わせると、彼らに同行する温寧と薛洋の共通点は非常に多く見受けられます。先に乱葬崗と義城の空間的な共通点について述べましたが、魏無羨が温寧ら温氏の人々を乱葬崗に匿ったように、暁星塵は薛洋を義城に匿いました。そして、温寧は悪意なく窮奇道で金氏の子弟らを殺害し、魏無羨に無辜の人々を手にかけたという罪を着せてしまいます。これは、薛洋が霜華の欠陥を利用し、盲目の暁星塵に無辜の村人を殺害させたことと非常に酷似しています。さらに、江澄に金丹の真実を告げたのは温寧であり、宋嵐に暁星塵の失われた両目の真実を告げたのは薛洋でした。
 これらの共通点から、薛洋は意図的に温寧と類似する描写がなされており、彼の「暁星塵(≒魏無羨)を陥れる」役割の多くは温寧に依拠するものだと筆者は考えます。
 とはいえ、彼らの間には多大な相違点も見受けられます。なかでも最も指摘すべき相違点は、温寧には魏無羨に対する悪意が一切なかったのに対し、薛洋には暁星塵への明確な悪意が存在していた点でしょう。

薛洋突然道:“是吗?那道长以前也是一个人夜猎?”
他唇角微翘,分明是一副不怀好意的模样,声音里却满是单纯的好奇。顿了顿,晓星尘微微一笑,道:“不是。”
阿箐来兴致了:“那还有谁啊?”
这次,晓星尘停顿的时间更长了。半晌,他才道:“我的一位至交好友。”
薛洋目中诡光闪动,嘴角的笑意愈深。看来,揭晓星尘的疮疤能使得他获得不小的快感。(「草木」)
【薛洋は突然「それで? 道長は以前から一人で夜狩をしていたのか?」と尋ねた。
彼の唇はわずかに歪んでおり、明らかに悪意のある様子だが、彼の声は純粋な好奇心に満ちていた。少しの間をおいて、暁星塵は「いいえ」と微笑んだ。
阿箐は興味を隠しきれない様子で「他に誰がいたの?」と尋ねた。
この時、暁星塵は先ほどよりも長い時間、口を閉ざし黙っていた。しばらくして、彼は「私の最も親しい友だ」と語った。
薛洋の目には奇怪な光が浮かび、口の端に浮かべた笑みはより深さを増した。どうやら暁星塵の傷跡を暴くことは、彼に大きな喜びを感じさせるらしい。】

他阴冷地笑了几声,道:“晓星尘,这就是我为什么讨厌你。我最最最讨厌的,就是你这种自诩正义之辈,自以为品性高洁之人,就是你这种总以为做点好事世界就变美好了的大傻瓜,白痴,天真,蠢货!你恶心我?很好,我会怕人恶心吗?不过,你有资格恶心我吗?”(「草木」)
【薛洋は冷笑し、「暁星塵、これがお前を憎む理由だよ。俺が何より憎むのは、お前のように、正義を自負し、己が高潔であると気取った奴だ。善行で世は変わると信じる、馬鹿で、単純で、おめでたい、愚か者どもだよ! 俺が憎いか? 上等だ。俺が憎悪を恐れると思うか? お前に俺を非難する資格があるとでも?」】

  〈俺が何より憎むのは、お前のように、正義を自負し、己が高潔であると気取った奴だ〉と語るように、薛洋には正義を自負し、己を罪に問うた暁星塵に対する明確な憎悪と悪意がありました。それも暁星塵に命を救われ、無償の施しを受け、さらに暁星塵の自害を目の当たりにしたことで、彼に対する憎悪と悪意は複雑な執心へと変化していくのですが……。
 しかし、薛洋の心中でどのような経緯を経て、どのような葛藤があったにせよ、彼が暁星塵に対する悪意を有していたことは原作の描写にも明らかであり、義城編における薛洋の役割として「暁星塵を陥れること」が一点課せられていることは間違いないと言えるでしょう。

3、復讐者、および代替の視点人物としての阿箐≒聶懐桑

 魏無羨と暁星塵、両者の死をもって物語は一度幕を閉じます。暁星塵の死後からおよそ七年、魏無羨の死後からはおよそ十三年もの間、傍目には彼らの消息は不明なままでした。
 再び物語が動き出す契機となるのは、聶懐桑の画策の一環として、莫玄羽の肉体を得た魏無羨が世に戻ったことです。聶懐桑が魏無羨をこの世に呼び戻した目的はというと、兄である聶明玦をはじめとした無辜の人々を殺害した金光瑶の罪を暴き、彼に報復することです。聶懐桑はその告発の代行者として魏無羨を選び、彼の魂に仮の肉体を与えることでこの世に呼び戻したのです。
 聶懐桑に導かれ、一連の事件の真相を追うなかで、魏無羨と藍忘機は義城へと辿り着きます。聶懐桑の報復の代行者たる魏無羨が義城を訪れ、まず話を聞くことになるのが薛洋です。(といっても、阿箐、宋嵐と出会う関係者たちがことごとく舌を切られているので、会話もままならないわけですが)
 ここで興味深いのが、薛洋の役割に変化が見られる点です。読者の目にも魏無羨の目にも、この時点ではまだ薛洋が暁星塵に行った仕打ちの数々が明らかにされていない状況で、薛洋は以下のように語ります。

魏无羡道:“所以你拿了这一堆小朋友做人质,究竟是想让我干什么?”
晓星尘笑道:“我想让前辈你帮一个忙。一点小忙。”
只见晓星尘拿出了一只锁灵囊,放在桌面上,道:“请。”
魏无羡将手放在那只锁灵囊面上,把脉一般地把了一阵子,道:“什么人的魂?碎成这样,浆糊都糊不起来,只剩下一口气了。”
晓星尘道:“如果这个人的魂那么容易就粘得起来,那么我求你帮忙做什么呢?”
魏无羡收回了手,道:“你要我修补这个魂魄?恕我直言,里面装的这点魂魄实在是太少了。而且这人生前应该受到极大的折磨,痛苦至极,很可能是自杀身亡,不想再回到这个世界上。如果一个魂魄自己没有求存欲,那么九成是救不回来的。(後略)”(「草木」)
【魏無羨は「それで、子供たちを人質にして、お前は俺に何をさせたい?」と尋ねた。
暁星塵(※注③:暁星塵を装う薛洋)は笑って「先輩に一つ頼みがある。実に些細なことだ」と言った。
(中略)暁星塵は一つの鎖霊嚢を取り出して机の上に置き「これを」と言った。
魏無羨は脈を測るように鎖霊嚢の表面に手を置き、しばらくして「誰の魂だ? こんなに砕けて、修復できるわけがないだろ。ただ一欠片残っているにすぎない」と言った。
暁星塵は「こいつの魂が簡単に修復できるなら、お前に頼むわけがないだろう?」と言った。
魏無羨は手を引いて言った。「お前はこの魂を俺に修復させたいのか? 率直に言って、この魂の量は少なすぎる。そしてこの人物は生前、非常に痛めつけられ、苦痛のあまり自ら命を絶ち、この世に戻ることを望んでいない。魂が望まなければ、救うことは不可能だ。(後略)」】

 暁星塵の死後、魏無羨と藍忘機が義城を訪れるまでの約七年もの間、薛洋は半欠けの陰虎符を利用し、暁星塵の霊識を修復しようとしていました。この描写によって読者に示されるのは、暁星塵(≒魏無羨)を待ち続け、何年もの間祈り続けた藍忘機と類似する役割なのです。
 先の章で述べたとおり、薛洋は暁星塵を陥れ、彼を死に至らしめた張本人です。しかし、その一方で自害した暁星塵を救おうとしていたことも、また事実に違いありません。よって薛洋は、一連の出来事の時系列的には「暁星塵を陥れる」役割を獲得しているにもかかわらず、この時点の読者の目には「暁星塵を救うもの」という異なる役割を担う人物として映るのです。
 しかし、すべての真相を知り、後者の役割を覆すことのできる人物が、義城にはすでに二人存在しています。そのうちの一人は言うまでもなく宋嵐ですが、彼はこの時舌を切られ、頭部に刺顱釘を埋め込まれ、薛洋によって操られているのです。藍思追が問霊を行うも、真相を明かすには至りません。
 そこで、魏無羨らを真相へと導く役割を担うのが阿箐です。以下、暁星塵の死後、義城から逃げ出した阿箐がとったある行動について、原作本文から引用します。

这个时候阿箐应该已经逃了一段时日。她走在一处陌生的城镇里,拿着竹竿,又在装瞎子,逢人便问:“请问这附近有没有什么大世家呀?”“请问这附近有没有什么厉害的高人呀?修仙的高人。”
魏无羡心道:“她这是在寻找可以帮晓星尘报仇的对象。”(「草木」)
【この時、阿箐は上手く逃げおおせたはずである。彼女は見知らぬ街を走り、竹の棒を握り、盲人のふりをして「この近くに大世家はありませんか?」「この近くにすぐれた方はいませんか? 仙門の修練をつまれた方はいませんか」と、すれ違う人々に尋ねた。
魏無羨は「彼女は暁星塵の仇を討つことに助力できる人物を捜している」と考えた。】

 暁星塵の死後、薛洋によって舌を切られ、両目を奪われた阿箐は、その後再び義城に戻り、身をひそめていました。なぜなら、阿箐は薛洋への報復を望んでいるからです。上記の引用にも明らかなように、阿箐の目的は〈暁星塵の仇を討つこと〉であり、「暁星塵を陥れる役割」を担う薛洋への報復なのです。

金凌微微愕然:“你要我们跟着一只鬼魂走?谁知道她会把我们带到哪里去!”
魏无羡道:“就是跟着她走。你们进来之后这个声音就一直跟着你们吧?你们往城里走,却被她一路在往城门外带,遇到了我们,她当时是在赶你们出去,是在救你们!”
那忽远忽近、诡异莫测的竹竿敲地声,是她用来恐吓入城活人的手段。(「草木」)
【金凌はわずかに驚いた様子で「私たちに幽霊を追いかけろっていうのか? どこへ連れていかれるかわからない!」と言った。
魏無羨は「彼女(※注④:阿箐)に従って行こう。あの音は、お前たちを追いかけてきたんだろ? お前たちが街に来たら、彼女は街の外に出て、俺たちは偶然出会えた。あの時、彼女はお前たちが街の外に出られるよう、助けてくれていたんだ!」と言った。
遠退いては近づいて、竹棒が地面を叩く奇妙で予測不可能な音は、彼女が街に侵入する人々を脅迫するための方法だったのである。】

 魏無羨と藍忘機、そして金凌ら仙門世家の子弟たちが義城を訪れると、阿箐はまず、彼らを義城から、つまり薛洋の手の内から逃がすべく手を回します。しかし、彼らが義城の異変を察知し、薛洋の罪を暴こうとする姿勢を見せると、阿箐は魏無羨を暁星塵の遺体の元へと導き、共情によって事の真相と薛洋の罪を告発します。
 つまり、阿箐は魏無羨を薛洋への報復の代行者として選んだのです。

她一个孤身流浪的小女孩,装装瞎子,别人以为她看不到,自然会放松警惕,但其实她都看得一清二楚,随机应变,倒也不失为一个聪明的自保法子。(「草木」)
【彼女は盲人を装う孤独な放浪の少女で、人々は彼女の目が見えないと思い自然に警戒を緩めたが、実際には彼女の両目ははっきりと物事を見ることができた。臨機応変で聡明な生き方である。】

 いくら報復を望めど、阿箐は身寄りもなく、仙門世家で修業を積んだわけでもなく、衣食住すらままならない無力な少女にすぎません。盲目を装うことで他者の警戒を緩め、同情を買い、その日をどうにか生き延びてきた放浪の少女です。彼女が報復を果たすには、彼女の力だけでは到底かなわず、彼女の意を汲み、代行者となる存在が必要不可欠です。
 そのような少女の前に、魏無羨が現れたのです。阿箐は魏無羨を代行者と定め、文字通り命がけの告発により、薛洋の所業を魏無羨の目に、そして読者の目に明らかにします。盲目を装い、薛洋の本質を暴いた阿箐は、その後およそ七年もの間、時が来るまで身をひそめ、ついに報復を成し遂げたのです。
 七年にも及ぶ阿箐の復讐劇、これもまた、作中のある人物の行いに既視感を感じる方は多いはずです。言うまでもなく阿箐の報復は、およそ十年もの間「一問三不知」と揶揄され、役立たずを装い、金光瑶への報復を成し遂げた聶懐桑の復讐劇と、非常に酷似しています。聶懐桑が魏無羨を代行者として金光瑶への報復を成し遂げたように、阿箐もまた、魏無羨を代行者として薛洋への報復を果たしたのです。

 そして、ここからは物語論のなかでも、特に「視点」の観点に依拠した言及になります。いわゆるメタな話ですので、苦手な方は次の引用部まで読み飛ばしてください。
 物語の中に溶け込んだ阿箐と聶懐桑は、間違いなく「魏無羨に報復を託すもの」としての役割を担い、その役割を最後まで果たしています。しかし、彼らにはそれだけでなく、もう一つ重要な役割があります。
 『魔道祖師』原作は魏無羨に焦点化した三人称小説であり、いわゆる「神の視点」「全知の語り手」を持つ三人称小説とは描写の範囲が異なります。『魔道祖師』で描かれるのは、基本的に視点人物「魏無羨」が知覚した事柄のみであり、彼の知らない情報が読者に提示されることはありません。
 主人公に焦点化した三人称小説というのは決して珍しくはないのですが、『魔道祖師』を同種の視点の方法を用いた他の小説と比較したとき、大きな欠陥があることは明白です。なぜなら、視点人物である魏無が物語の途中で一度死ぬことにより、その後十三年もの間、物語の中で「不在」となるからです。
 視点人物の知覚した事柄だけを描くという固定焦点化三人称小説の原則のなかで、視点人物が不在となれば、それだけの「空白」が読者の中にも生まれてしまいます。それでは主人公に焦点化した意味がないどころか、その空白に言及する必要があるとき、物語が破綻してしまいます。
 そこで『魔道祖師』が、視点人物不在の十三年間に配置したのが「視点の代替者」です。換言すると、魏無羨の死後から彼が世に戻るまでの間、彼が知覚しなければならなかった情報を代わりに見聞きし、それを伝えることで視点人物不在の空白を埋めるため、代理で焦点化される人物です。この「視点の代替者」としての役割を果たしているのが阿箐と聶懐桑なのです。
 彼らが魏無羨に解明を託した事件は、しかしそのほとんどが魏無羨の死後に起こった出来事でした。ゆえに彼らは、他の誰も知ることのない事件の証拠と真相を見聞きする必要があり、それを魏無羨に知覚させる過程をもって読者の前に提示するのです。
 聶懐桑は聶明玦の切断された遺体や雲夢の土地契約書、さらには思思といった証拠の数々を収集し、順序とタイミングを意図的に操り、魏無羨の目の前で暴いていきました。また阿箐は、義城の惨劇の全てを同時並行的に経験していたため、共情を利用して知覚の全てを魏無羨に共有しました。
 しかし、それは逆に考えると、阿箐や聶懐桑が知覚し得ない出来事はそれがたとえ事実であっても、魏無羨の目にも読者の目にも明らかにならないということになります。先にも述べましたが、薛洋は暁星塵を陥れ、死に至らしめた一方で、暁星塵の死後、彼を救うべく尽力していたこともまた事実です。暁星塵の死後約七年もの間、薛洋が彼の遺体の側を離れることなく義城に留まり続け、彼の魂の修復に一体どれほどの心血を注いだか。その時間の長さを見るだけでも、想像に難くはありません。
 しかし阿箐は暁星塵の死を見届けた後、薛洋の手にかかり盲目となるため、その先に起きた出来事を見ることも、魏無羨に伝えることもできません。視点の代替者である阿箐が知覚できない以上、魏無羨も、読者も、それを知ることは許されないのです。
 むしろ、阿箐が暁星塵の死後すぐに盲目となったのは、その後の薛洋の苦衷を誰にも見せないためだと言えるでしょう。著者がそれを描くべきではないと判断したため、阿箐は意図的に視点人物としての資格を剥奪されたのです。阿箐の視点代替者としての仕事ぶりは本当に完璧で、賞賛に値します。

 そして、薛洋に操られていた宋嵐もまた、魏無羨と温寧の助力により、正気を取り戻します。以下に引用するのは、正気を取り戻した宋嵐と魏無羨による会話です。

魏无羡点点头,又道:“今后你打算如何?”
宋岚写道:“负霜华,行世路。一同星尘,除魔歼邪。”
顿了顿,又写道:“待他醒来,说对不起,错不在你。”
这是他生前没能对晓星尘说出来的话。
(中略)
他还是那一身漆黑的道袍,孑然一身,背着两把剑,霜华和拂雪,带着两只魂,晓星尘和阿箐,走上了另一条道路。(「草木」)
【魏無羨はうなずき、「この先、どうするつもりだ?」と尋ねた。
宋嵐は「霜華を背負い、世を渡る。星塵と共に、魔を除き、邪を廃する」と綴った。
そしてしばらくして、また言葉を綴る。「彼が目を醒ますのを待ち、私が悪かったと、お前のせいではないと、伝えたい」
彼は生前、この言葉を暁星塵に伝えることがついぞできないままであった。
(中略)
天涯孤独の彼は漆黒の道衣を身に纏い、霜華と拂雪、二振りの剣を背負い、暁星塵と阿箐、二つの魂を持ち、別の道を歩きはじめた。】

 宋嵐は霜華と拂雪、そして暁星塵と阿箐、二人の霊識を集めた鎖霊嚢を持ち「世を渡る」と語ります。そして永遠にも等しい時間、彼は「暁星塵が目を醒ますのを待ち続ける」のです。
 ここでようやく、宋嵐は暁星塵(≒魏無羨)を待ち続け、祈りを捧げるという藍忘機と同義の役割を獲得するに至りました。原作では藍思追が、ドラマ『陳情令』では魏無羨が、それぞれ〈“‘明月清风晓星尘,傲雪凌霜宋子琛’……不知他们二位,还有没有再聚首之日。”〉【日本語訳:「『明月清風の暁星塵、傲雪凌霜の宋子琛』……彼らが再び出会う日は来るのだろうか」】と語ることからも、十三年もの時を経て再会できた魏無羨と藍忘機の終点と、暁星塵と宋嵐がこの後辿ることになる道程とが意図的に重ねられ、語られていることは明らかです。
 この一文を示してくれるところが著者・墨香銅臭氏の優しさであると感じる筆者は、藍忘機が祈りを捧げ続けた結果、十三年もの時を経て魏無羨がこの世に戻ることができたように、宋嵐が祈り続ければ、いつか彼は暁星塵と再会できるのではないかと考えています。

【魔道祖師/陳情令】藍曦臣の空想と自己の抑圧―藍忘機・聶明玦との対比から読む人物論―

 藍曦臣、姓名を藍渙、世人は彼を澤蕪君と尊称する。常に温和な笑みをたたえ、物腰やわらかで品があり、弟の藍忘機と合わせて「藍氏双璧」と称されるほど仙師としての実力も折り紙つき。先代藍氏宗主であった父の死後、長子である藍曦臣は姑蘇藍氏の家主を継ぎました。
 ドラマ『陳情令』視聴中、藍曦臣に対してはじめに抱いた印象は典型的な「優等生型長子」でした。恐らく、間違ってはいないのです。しかし筆者は、このいかにも浅慮な印象に対する違和感を、視聴をすすめるたび徐々に胸の内にため込むことになります。ちょうど射日の征戦後、藍曦臣、聶明玦、金光瑶の三名が義兄弟の契りを結んで以降でしょうか。恐らくこの結拝の後、それまで藍曦臣に対して抱いていた印象に少なからぬ違和感を感じるようになった視聴者は、決して筆者だけではないと思うのです。
 その違和感の正体を明確にせず、つかみあぐねたまま視聴した最終三話で、筆者は藍曦臣という人物の愚かで冷たい空洞のような性分を目の当たりにし、情緒をめちゃくちゃにかき乱されることになりました。最悪です。最終話視聴後、藍曦臣という人物に対する漠然とした違和感が、まるで喉に刺さった魚の小骨のようにいつまでも残り続けているのです。最悪です。しかし彼の作品における役割も、本人の個性も魅力的なので気になってしまい仕方がありません。

 本稿の目的は、藍曦臣という人物に対して筆者が感じた違和感を明確に言語化することで、喉に刺さり続ける魚の小骨を取り除くことです。そのため以下の文章では、中国語版『魔道祖師』原作の本文(と筆者による日本語訳)を引用しながら、また特に藍曦臣との関連が深い藍忘機・聶明玦という二名のキャラクターとの対比を通し、藍曦臣というキャラクターに人物論の観点から言及していきます。
 本稿で筆者が考える人物論は、すべて筆者が個人の視点から独自に論じるものであり、他者の考察や二次創作を否定する意図は一切ございません。
 なお本稿には、原作小説『魔道祖師』本編ならびに番外編、実写ドラマ『陳情令』のネタバレを含みます。

1、無自覚的に抑圧される「欲求」

 藍曦臣について論じる上でまず触れるべきは、やはり彼が身を置いた幼少期の特異な環境です。彼自身とその弟である藍忘機を取り巻く幼少期の環境について、魏無羨に語る内容を原作本文から引用します。欠かせない部分になりますので、引用が長いです。また、筆者による日本語訳に誤訳等ありましてもご容赦ください。

蓝曦臣在龙胆花丛边俯下身来,温柔地抚弄着那些娇嫩轻薄的花瓣,道:“我父亲在年少的时候,一次夜猎回程途中,在姑苏城外遇上了我母亲。”他微微一笑,道:“据说,是一见倾心。”
魏无羡也笑笑,道:“年少多情。”
蓝曦臣却道:“可这女子对他并没有倾心,并且,杀死了我父亲的一位恩师。”
这当真是超乎想象,魏无羡明知追问是很失礼的事,但一想到这是蓝忘机的父母,便觉不能不问,道:“为什么?!”
蓝曦臣道:“我不知,但想来无非‘恩怨是非’四个字罢了。”
魏无羡不便深究,强行按下,道:“那……然后呢?”
“然后,”蓝曦臣道:“我父亲得知真相,自然是很痛苦。但再三挣扎,他还是秘密把这女子带了回来,不顾族中反对,一声不响地和她拜了天地,并对族中所有人说,这是他一生一世的妻子,谁要动她,先过他这一关。”
魏无羡睁大了眼睛。
蓝曦臣继续道:“礼成之后,我父亲便找了一座屋子,把我母亲关起来,又找了一座屋子,把自己也关起。名为闭关,实为思过。”(第64章)

【藍曦臣は竜胆の茂みに身体をあずけ、瑞々しく繊細な花弁をやさしく撫でた。「父が若い頃、夜狩から帰る途中に姑蘇の街で母に出会った」彼はわずかに微笑んだ。「一目で心を奪われたらしい」
魏無羨は「若者は感情豊かだ」 と言って笑った。
藍曦臣は言った。「しかし、母は父に心を奪われておらず、それどころか父の恩師までをも殺した」
それはあまにも想像を絶する事実であった。魏無羨とて問い詰めるなど不躾であると分かってはいたが、これが藍忘機の両親であると考えるだけで、理が非でも問わずにはいられなかった。「なぜ?!」
藍曦臣は「わからない。きっと、恩仇が理由に他ならない」と答えた。
魏無羨は居たたまれず、体裁の悪さを強引に抑えてさらに問い詰めた。「それで……それから?」
「それから、」藍曦臣は続けて言った。「父は真実を知り、いたく苦しんだ。しかし、父は幾度も悩み、熟慮した結果、密かに母を連れて帰り、一族の反対も顧みず、ひっそりと祝言を挙げたのだ。そして父は、一族のすべての人に宣言した。彼女は私が生涯で唯一愛する妻であり、追い出したいのならば、まずは自分を討つのだと」
魏無羨は瞳を大きく見開いた。
藍曦臣は続けて語った。「祝言の後、父はこの静室を見つけ、ここに母を閉じ込め、また自分も別の建物に籠った。修行と言うが、その実、悔悟と言えるだろう」】

半晌,蓝曦臣低声道:“我父亲这么做,可以说是不顾一切了。(中略)待到我和忘机出生,立刻把我们抱出来给旁人照料,稍大一点,便交给叔父教导。
“我叔父……原本就性情耿直,因我母亲的事,导致我父亲自毁一生,更是格外痛恨品行不端者,因此他教诲我与忘机也格外尽心,格外严厉。每个月我们只能见到母亲一次,就在这座小筑里。”
两个年幼的孩子,整日面对的只有严厉的叔父,严格的教导,堆积成山的书卷,再累再倦也要把稚嫩的腰杆挺得笔直,做族中最优秀的子弟,旁人眼中的楷模标杆。常年不得与至亲见面,不能在父亲怀里打滚撒野,也不能抱着母亲依偎撒娇。
可分明他们什么也没做错。
蓝曦臣道:“每次我与忘机去见她,她从不抱怨自己被关在这里寸步难行有多苦闷,也不过问我们的功课。她尤其喜欢逗忘机,可是忘机这个人,越逗他就越不肯说话,越没好脸色,从小就是这样。不过,”他笑了笑:“虽然忘机从来不说,但我知,他每月都等着和母亲见面的那一日。他如此,我亦然。
魏无羡想象了一下年岁尚幼的蓝忘机被母亲搂在怀里、雪白的小脸蛋涨得粉红的模样,也跟着笑出来了。可笑意还未散去,蓝曦臣又道:“但有一天,叔父忽然对我们说,不用再去了。
“母亲不在了。”
(中略)
他道:“那时候太小,还不懂什么叫‘不在了’,不管别人怎么劝慰,叔父怎么斥责,他每月都继续到这里来,坐在廊下,等人给他开门。等后来大了一点,明白了母亲不会回来了,不会有人再开门,他还是会来。”(第64章)

【しばらくして、藍曦臣は低い声で語りはじめた。「父も後先顧みなかったのだろう。(中略)私と忘機が生まれるとすぐに他の者に世話をさせ、少し成長すると叔父に教導させた。叔父は……もともと実直な人で、母のせいで父は自分の一生を台無しにしたのだと言って、とりわけ品行の悪い者を激しく憎んだ。私と忘機への教育にもますます心を砕くようになり、厳しさは増す一方だ。私たちは毎月一度だけ、この建物で母に会うことを許されていた」
二人の幼い子供たちは、一日中厳しい叔父だけに接し、厳格な教えと、山積みの書物に向き合った。どんなに疲れていても、やわらかい腰をまっすぐと伸ばして、一門で最も優秀な子弟となり、人々の目に模範的に映るように。常に両親と会うことはできず、父親の腕に抱かれることも、母親を抱きしめて寄り添い、甘えることもできなかった。
彼らに何も非がないことは明白である。
藍曦臣は言った。「私と忘機が会いに行くたび、母は自分の置かれた状況がどれだけ苦しくても不満を言うことはなく、私たちに修行のことも聞かなかった。母はとりわけ忘機をあやすことが好きで、だが忘機は、世話を焼かれるほど口数が減り、表情も固くなる。子供の頃から変わらない。でも、」彼の表情に笑みが浮かぶ。「忘機は一度も言わなかったが、私にはわかる。毎月、母と会う日を待ちわびていた。忘機がそうであったように、私もまた
魏無羨はまだ幼い藍忘機が母の腕に抱かれ、白くあどけない頬が薄桃色に染まる様子を想像し、つられて笑わずにはいられなかった。しかしこの笑みが消えないうちに、藍曦臣は再度語り始めた。「だがある日、叔父が突然私たちに言った。もう行く必要はない。
母はもういない、と」
(中略)
「当時は幼すぎて、「もういない」の意味がわからなかった。誰が慰めても、叔父が叱責しても、忘機は毎月ここへ来て、廊下に座り、戸が開くのを待っていた。その後成長し、母はもう戻らず、この戸を開ける人はもういないことを理解した。それでも、忘機はまだここへ来た」】

 兄弟の母親は、雲深不知処に居を構えながら長く軟禁状態にありました。父親も修行と称して世俗との関わりを断ち、兄弟に会うことはありません。兄弟が母親に会うことができるのは、月にたった一日だけ。その一日を除いて、幼い兄弟が接するものは、厳格な叔父による厳しい教育、山積みの書物と三千の家規です。〈毎月、母と会う日を待ちわびていた。忘機がそうであったように、私もまた〉とあるように、彼らは母を愛しており、母に会えるたった一日を心から待ち望んでいました。齢十歳にも満たない子供なのですから、当然です。
 しかし、彼らの母親が亡くなると、この状況は一変します。〈当時は幼すぎて、「もういない」の意味がわからなかった〉これは当然の反応でしょう。藍曦臣も藍忘機も、当時は母が亡くなったことを理解できていなかった。〈誰が慰めても、叔父が叱責しても、忘機は毎月ここへ来て、廊下に座り、戸が開くのを待っていた〉これもまた、母が亡くなったことを理解できない幼子の反応として当然です。
 では、藍曦臣はどうでしょう。原作小説では、この時藍曦臣がどのように振る舞ったのかについて、一切言及されていません。しかしドラマ『陳情令』を見ると、彼は厳格な叔父と共に、母を待ち続ける藍忘機を慰める役割を負っています。藍曦臣は藍忘機のように、恋しい母の帰りを頑固に待ち続けることができなかったのです。なぜなら、彼は「兄」である。それが理由に他なりません。
 〈毎月、母と会う日を待ちわびていた〉幼い藍曦臣が、母に甘えたい、もう一度会いたいという欲求を有していないはずがありません。しかし彼はこの時、母を待ちたいという「欲求」と、藍忘機の兄であるという「責任」を天秤にかけて後者を選び、己の欲求を自ら抑圧しているのです。
 一見すると、物分かりがよく、立派な兄のように見える藍曦臣。しかしそれは、齢十歳にも満たない幼子が負うべき「責任」でしょうか?
 ここで、原作小説番外編「莲蓬」の一場面を引用します。「莲蓬」で描かれるのは、成長した藍曦臣・藍忘機兄弟のとある夏の出来事です。
 雲深不知処で催された座学のあと、藍忘機は親交を結んだ魏無羨に「茎のある蓮の花托は、茎のない蓮の花托より実がおいしい」と聞かされます。藍忘機はこの真偽を兄に尋ねますが、弟同様、雲深不知処育ちの藍曦臣には知る由もありません。そこで藍忘機は翌日、山を越え川を渡り、最終的に三十四里もの道のりを経て、己の手で蓮の花托を摘みに行きます。
 以下の引用は、摘み取った蓮の花托を持ち帰った藍忘機が、それを兄へこっそり分け与える場面です。

小筑门前的木廊上放着一只白玉瓶,瓶里盛着几枝高高低低的莲蓬。
玉瓶修长,莲茎亦修长,姿态甚美。
蓝曦臣收起裂冰,在木廊上临着这只玉瓶坐下,侧首看了一阵,心内挣扎
最终,还是矜持地没有动手偷偷剥一个来吃吃看,带茎的莲蓬到底味道有什么不同。
既然忘机看上去那般高兴,那大概是真的很好吃吧。(「莲蓬」)

【建物の入り口、その手前の廊下に白玉の花瓶が鎮座しており、花瓶には大小様々な蓮の花托がしなだれている。
花瓶は細長く、蓮の茎もまた細く伸びて、姿かたちは非常に美しい。
藍曦臣は手に持った裂氷を懐にしまい、花瓶の近くに腰を下ろすと、首をかしげ、しばらく眺め、その心中は複雑に葛藤を繰り返した
熟慮の末に、こっそり皮を剥いて食べてみることはどうにも憚られ、ついぞできなかった。茎のある蓮の実は、一体どのような味がするのだろう。
忘機は嬉しそうに見えるので、きっと美味しいに違いない。】

 幼い頃から抑圧されることを覚えた藍曦臣の欲求が、成長してどのように変化するか。はじめは抑圧するべきか否か天秤にかけ、仕方なく抑えていたものが、そうするまでもなく抑圧されることが習慣になってしまうのです。
 上記の引用部において、藍曦臣が「蓮の実を食べてみたい」という欲求を抑圧する必要はありません。藍曦臣が蓮の実を食べることで彼の責任にきたす支障など一切なく、弟に与えらえた蓮の実を食べることが家規や道理に反するわけでもありません。しかし彼は己の欲求を前にして不要な葛藤を繰り返し、結局蓮の実を食べることはできず、最終的に欲求を抑圧することで心に平穏を取り戻します。
 これが藍曦臣と藍忘機、二人の兄弟の大きな相違点です。藍忘機は「したいこと」という「欲求」と「するべきこと」という「責任」を自身の中で明確に区別できており、そのうえで「責任」を優先的に選ぶことができるのです。己の「欲求」と「責任」を比較した時、その「欲求」が家規や道理に反する場合、彼は「模範的な子弟である」という己の「責任」にしたがって「欲求」を抑圧することができる。
 ゆえに「責任」に「欲求」を妨げられない時、藍忘機は山を越え川を渡り、三十四里もの道のりを経て、己の手で蓮の花托を摘みに行くことさえためらわないのです。己の欲求に対し、非常に正直に生きています。
 しかし藍曦臣は弟と異なり、己の「欲求」と「責任」の乖離に自覚的ではありません。幼い頃から欲求を抑えなければならない環境にあった影響でしょうか、その善悪を問わず己の欲求を抑圧しようとする悪癖があります。そうでなければ、弟によって与えらえた蓮の実を、食べてみたいと望みながら見過ごすという選択肢はありえないはずです。己の欲求に正直な藍忘機に対し、藍曦臣はそもそも己の欲求に対して自覚的ではないのです。

2、「欲求」と「責任」の齟齬

 己の「欲求」と「責任」の乖離に自覚的でない藍曦臣ですが、まだ父が存命であり、彼が家主の立場にない時分は、恐らくこの無自覚的な自己の抑圧に不都合が生じることはなかったでしょう。というのも、雲深不知処という外界から隔絶され、厳格な規律に支配されたある種の箱庭的空間に庇護されている限り、彼の欲求と責任の間に決定的な齟齬が生じることはなかったはずです。むしろ、雲深不知処の特殊な環境が、彼の抑圧行為を無自覚的なものにしたと考えることもできます。
 しかし先代宗主であった父が亡くなり、家主を継げば、外界との関わりを避けて通ることはできません。家主として射日の征に身を投じ、世俗との親交を結ぶなかで、彼の欲求と責任の間には徐々に齟齬が生じ、そのギャップに直面することになります。

谁知,未清净多久,一名身穿金星雪浪袍的男子忽然走了过来,一手一只酒盏,大声道:“蓝宗主,含光君,我敬你们二位一杯!”
此人正是从刚才起就一直四下敬酒的金子勋。(中略)
“咱们金家蓝家一家亲,都是自己人。两位蓝兄弟若是不喝,那就是看不起我!”
一旁他的几名拥趸纷纷抚掌赞道:“真有豪爽之风!”
“名士本当如此!”
金光瑶维持笑容不变,却无声地叹了口气,揉了揉太阳穴。蓝曦臣起身婉拒,金子勋纠缠不休,对蓝曦臣道:“什么都别说,蓝宗主,咱们两家可跟外人可不一样,你可别拿对付外人那套对付我!一句话,就说喝不喝吧!”(第72章)

【しばらく心静かであった二人(※注① 藍曦臣、藍忘機)の前に、金星雪浪の上衣を身に纏った男が突然やって来ると、手に持った酒杯を掲げ、大声で言った。「藍宗主、含光君、お二人に一献捧げよう」
この人は、今しがたまで絶えまなく酒を勧めてまわっていた金子勳である。(中略)
「金家と藍家は仲が良く、家族も同然である。お二人がもし杯を受けぬとなれば、それは私を侮辱したと同義に違いない!」
彼を支持する幾人かの人々は手を打って、「実に豪快である!」「あるべき名士の姿だ!」と叫び、称賛した。
金光瑶はどうにか笑顔を保ち、静かにため息をつき、こめかみをわずかに揉んだ。藍曦臣は立ち上がって遠まわしに拒絶したが、金子勳はしつこく藍曦臣に言った。「藍宗主、言うまでもなく私たちは他人ではない。他人行儀に接するのはやめてくれ!話は簡単、飲むか、飲まないかだ!」】

 上記の引用は、金氏が主催した夜狩大会の後、続けて催された宴会における一場面です。藍氏の家規には飲酒の禁止が定められており、しかしそれを知りながら金子勳は藍曦臣、藍忘機に己の杯を受けるよう強要します。
 原作ではこの後、藍曦臣が杯を受ける前に魏無羨が乱入して事なきを得るのですが、ドラマ『陳情令』では魏無羨の乱入が少し遅く、金子勳に迫られた藍曦臣は仕方なく杯を煽ります。原作においても、藍曦臣の拒絶は遠まわしなものにすぎず、明確な拒絶の意思を表明することはできていません。なぜなら、彼は世家の家主という立場である以上、世家間の調和を乱すことができないのです。もし魏無羨の乱入が遅ければ、恐らく原作の藍曦臣も杯を受けざるを得ない状況にあると言えるでしょう。
 この場面では、杯を拒絶したいという「欲求」と、家主としての体裁という「責任」の間に決定的な齟齬が生じており、そのうえで藍曦臣は己の欲求を抑圧し、家主としての責任を優先しています。
 以下、もう一点別の描写を引用します。魏無羨が温情、温寧ら温氏の人々と共に乱葬崗に立てこもった後、四大世家はその処分について議論します。

聂明玦道:“有恩是怎么回事?岐山温氏不是云梦江氏灭族血案的凶手吗?”(中略)
蓝曦臣沉吟道:“这位温情的大名我知晓几分,似乎没听说她参与过射日之征中任何一场凶案的。”
聂明玦道:“可她也没有阻拦过。”
蓝曦臣道:“温情是温若寒的亲信之一,如何能阻拦?”
聂明玦冷冷地道:“既然在温氏作恶时只是沉默而不反对,那就等同于袖手旁观。总不能妄想只在温氏兴风作浪时享受优待,温氏覆灭了就不肯承担苦果付出代价。”
蓝曦臣知道,因家仇之故,对温狗聂明玦是最为痛恨,他又是完全容不得沙子的性情,便不再言语。(第73章)

聶明玦は言った。「恩があるから何だと?岐山温氏こそ雲夢江氏族殺の張本人ではないのか?」(中略)
藍曦臣は低い声で言った。「温情の名声は私もいくらか知っている。射日の征においても、彼女が殺戮に加担していたという話は聞かなかったはず」
聶明玦は「しかし阻止もしていない」と言った。
藍曦臣は言った。「温情は温若寒の腹心の一人だったのだ。どのように阻止できると?」
対する聶明玦の声は冷ややかだった。「温氏が悪事を働くとき、黙って反対しなければ、それは傍観と同じだ。温氏が権勢を誇る時は優遇され、温氏が敗れた時は報いを受ける必要はないとでもいうのか」
藍曦臣は、家族の仇ゆえに聶明玦が温狗を心から憎んでいること、また憎むものを全面的に許容できない性質であることを知っていたので、それ以上口を開くことはなかった。

 ここで藍曦臣は、罪のない温氏の人々を討伐することに反対の意思を示しています。彼は厳格な規律に支配された雲深不知処で、実直な叔父の教育を受けて育った善良な人間であるため、罪なき人々を救いたいという立場は彼の善良な欲求に基づくものです。しかし聶明玦をはじめとする世家の代表者たちは、そろって温氏の残党討伐に賛成の立場を示します。すると、藍曦臣は藍氏の家主として世家間の調和を取らなければならないという責任と、それに反する己の欲求とを天秤にかけなければならなくなり、最終的に彼は己の欲求を抑圧し、家主としての責任を優先します。
 世俗の善悪の基準は家規のように単純でも明確でもなく、己の尺度や視座で定めることができるものでもありません。ゆえに世俗に身を投じれば投じるほど、藍曦臣の善良な人格に基づく欲求と、世家の家主として果たすべき責任の間には常に齟齬が生じ続けるのです。
 そして「欲求」と「責任」の乖離を自覚した以上、彼はそれら二つの間にうまく折り合いをつける必要があるわけです。

3、自己を守る空想の箱庭

 本稿のはじめに、筆者は射日の征戦後、藍曦臣、聶明玦、金光瑶の三名が義兄弟の契りを結んで以降、藍曦臣に対して漠然と違和感を抱くようになったと述べました。そして先の章で述べたとおり、この頃から藍曦臣は己の「欲求」と「責任」の間に生じる齟齬を自覚せざるを得ない状況に置かれています。
 ゆえに、藍曦臣は家主という立場を負う以上、己を殺し、欲求と責任の乖離に折り合いをつける必要があるのですが、筆者の感じた違和感というのは、まさにこの「折り合いをつける」ために生じた人心のバグ、欠陥のようなものに他なりません。
 まずは、藍曦臣の人心にまつわるすべての因果の発端とも言える三尊の結拝について、それに至る経緯を原作本文から引用します。

魏无羡也曾奇怪过,自从孟瑶叛离清河聂氏后,聂明玦与他的关系便不比从前了,那后来又是为何要结拜?据他观察,想来除了蓝曦臣一直希望二人重修于好,主动提议,最重要的,大概还是念了这份救命之恩,承了这份传信之情。算起来,过往他那些战役中,多少都借助了孟瑶通过蓝曦臣传递来的情报。他依然觉得金光瑶是不可多得的人才,有心引他走回正途。(第49章)
【魏無羨はまた、このように考えた。孟瑶が清河聶氏を離反した後、彼と聶明玦の関係は以前ほど良好ではなかったはずである。その後、なぜ彼らは義兄弟の契りを結ぶに至ったのだろうか。魏無羨の見解によると、藍曦臣は彼自身を除く二人の関係の修復を一心に望み、自らすすんで提案をしたに違いない。何より彼は孟瑶に対し、命を救われた恩に報い、密書をしたため続けた情を認めてやりたかったのだ。考えてみると、射日の征において孟瑶が藍曦臣を通して伝達した情報に、聶明玦も多かれ少なかれ助力を得た。彼はいまだに金光瑶が得難い才知の持ち主であると認めており、正道を歩ませたいと考えている。

 上記の引用からは、結拝を申し出たのが藍曦臣であることと、その動機を読み取ることができます。この時藍曦臣は、孟瑶の恩に報いるべきであるという責任と、孟瑶と聶明玦、両者の関係の修復を願う欲求、この二つが目的として一致したために結拝を提案したのです。
 そして聶明玦はというと、〈金光瑶が得難い才知の持ち主であると認めており、正道を歩ませたいと考えている〉ために、藍曦臣の提案に同意しました。金光瑶に〈正道を歩ませたい〉と考える彼の心算については、孟瑶が聶氏を離反するに至った出来事までさかのぼって考える必要があります。
 ドラマ『陳情令』において孟瑶は、温氏の不浄世襲撃に乗じ、日常的に己を嘲る聶氏の子弟を殺害します。しかし、その一部始終は聶明玦に目撃されており、孟瑶はその咎により釈明もむなしく聶氏を追放されます。
 この一連の出来事、実は原作からわずかに改変が加えられており、孟瑶と聶明玦が反目し合うに至るまでに少し異なる経緯があります。原作において聶明玦は、副使として仕える孟瑶の「金氏で父の承認と立場を得たい」という願いを叶えるために紹介状を書き、彼を金氏へと送り出します。金氏でもその才知を存分に発揮することを望まれ、送り出された孟瑶ですが、彼は金氏においても日常的に見下され、出自を嘲られる日々を過ごします。そこで彼は『陳情令』同様に温氏の襲撃に乗じて金氏の子弟を手にかけます。以下の引用は、聶明玦に共情した魏無羨が、聶明玦を通して一連の出来事を目の当たりにする場面です。

聂明玦把这一幕看在眼里,一句话也没说,刀锋出鞘一寸,发出锐利的声响。
听到这个熟悉的出鞘之声,孟瑶一个哆嗦,猛地回头,魂魄都要飞了:“……聂宗主?”
聂明玦将鞘中的长刀尽数拔了出来。刀光雪亮,刀锋却泛着微微的血红色。魏无羡能感觉到从他那边传来的滔天怒火,和失望痛恨之情。
孟瑶是最清楚聂明玦为人的,哐当一声弃了剑,道:“聂宗主、聂宗主!请您等等,请您等等!听我解释!”
聂明玦喝道:“你想解释什么?!” 孟瑶连滚带爬扑了过来,道:“我是逼不得已,我是逼不得已啊!”
聂明玦怒道:“你有什么逼不得已?!我送你过来的时候,说过什么?!”
孟瑶伏跪在他脚边,道:“聂宗主,聂宗主你听我说!我参入兰陵金氏旗下,这个人是我的上级。他平日里便看不起我,时常百般折辱打骂……”
(中略)
聂明玦看着他热泪盈眶、瑟瑟发抖的模样,与他方才那冷静杀人的一幕对比太过强烈,因此冲击力太大了,画面还未消退。(中略)
半晌,聂明玦慢慢把刀收回了鞘中,道:“我不动你。”
孟瑶忽的抬起头,聂明玦又道:“你自己去向兰陵金氏坦白领罪吧。该怎么处置就怎么处置。”(第48章)

【聶明玦は一連の出来事を目の当たりにして、言葉を失い、鞘からわずかに引き抜かれた刀は鋭い音を立てた。
よく聞き知った金属音に孟瑶は身震いし、にわかに振り返ると、魂を失ったように呆然として立ち尽くした。「……聶宗主?」
聶明玦は鞘に納まる刀をすべて引き抜いた。刀身は白く光り、切っ先はわずかに血のような赤色を帯びている。魏無羨は彼から伝わる天を衝かんばかりの激しい怒りと失望感、そして憎しみを感じ取ることができた。
孟瑶は聶明玦の気性を非常によく理解しており、手に持った剣を音を立てて地面へと放った。「聶宗主、聶宗主!お待ちください、お待ちください!私の話を聞いてください!」
聶明玦の声音には怒りが滲んでいる。「何を話すというのだ?!」
孟瑶は慌てて地面を這うようにやって来て、「私はやむを得ず、こうする他なかったのです!」と嘆いた。
聶明玦は怒鳴った。「一体何がやむを得なかったというのか?!お前を金氏へ送り出したとき、私は何と言った?!」
孟瑶は聶明玦の足元に跪いた。「聶宗主、聶宗主、聞いてください!私は蘭陵金氏に参与しました。この人は私の上官です。しかし彼は日常的に私を見下し、辱め、罵ったのです……」
(中略)
聶明玦は熱い涙を流し、震えながら孟瑶を見つめた。たった今目にしたばかりの、粛々と行われた殺戮に受けた衝撃は大きく、先の光景が依然として脳裏をよぎる。(中略)
しばらくすると聶明玦は刀をゆっくりと鞘に納め、「私はお前を信じない」と言った。 孟瑶が勢いよく顔を上げると、聶明玦は再び言った。「お前は自ら蘭陵金氏に赴き、罪を認め、打ち明けるのだ。そうすれば相応の処罰が下されるだろう」】

 聶明玦はこの時、それまで己が信じていた姿とは異なる孟瑶の一面を目の当たりにし、〈激しい怒りと失望感、そして憎しみ〉を感じています。聶明玦は〈雷厉风行〉(原作第13章)な人物であり、非常に厳格で公明正大な人物として描かれています。ゆえに、たとえ己の知らない孟瑶の姿を目の当たりにしたとしても、それを己の目で見てしまった以上、事実として認めないわけにはいかないのです。そして、過ちは過ちとして断罪されるべきとする一方で、孟瑶が〈得難い才知の持ち主であると認めて〉いる聶明玦は、孟瑶が己の過ちを認め、改心するのならば再び〈正道を歩ませたい〉という意思を結拝において示しています。つまり聶明玦は、金光瑶のために彼の根性を叩き直すつもりでいたのです。
 対して藍曦臣の目に移る孟瑶はというと、常に衆人に見下され、嘲られ、それでも人知れず耐え忍ぶ不遇の人、そして何より温氏による雲深不知処襲撃の後、逃亡する己を窮地から救った恩人に他なりません。

他对蓝曦臣把孟瑶杀人嫁祸、诈死逃跑之事原封不动转述一次,听完之后,蓝曦臣也怔然了,道:“怎么会这样?是不是有什么误会?
聂明玦道:“被我当场抓住,还有什么误会?”
蓝曦臣思索片刻,道:“听他的说法,他所杀之人,确实有错,但他确实不该下杀手。非常时期,倒也教人难以判定。不知他现在到哪里去了?”(第48章)

【聶明玦は、孟瑶による金氏子弟の殺害とその転嫁、そして自害を騙った逃亡行為について、ありのままを藍曦臣に伝えた。これを聞いた藍曦臣は呆然として、「まさか、そんなことが起こり得ると?何か誤解があるのでは?」と言って信じなかった。
聶明玦は言った。「その場で捕えたというのに、どんな誤解があると?」
藍曦臣はしばらく考えて、「彼の言い分によると、彼が殺したという者は確かに過ちを犯した。しかし、だからといって殺すようなことがあってはならない。非常時には、誰しも適切な判断ができなくなるものだ。彼は今、何処にいるのだろう?」と語った。】

 上記の引用において、孟瑶による金氏の子弟殺害事件を目撃した聶明玦は、藍曦臣に事の顛末をありのまま伝えています。聶明玦の語る孟瑶と、己の知る孟瑶の間に決定的な隔たりを認めた藍曦臣は、聶明玦の語る孟瑶の姿は〈誤解〉であり、非常時ゆえの過ちであると決めつけて聞く耳を持ちません。
 さらにもう一点、原作から引用をします。以下の引用は、不夜天における温若寒討伐後の一場面です。温若寒の腹心を装うことで不夜天に潜入した孟瑶は、聶明玦の目前で聶氏の子弟を殺害し、後に聶明玦に糾弾されます。

孟瑶道:“温若寒性情残暴,平日稍有拂逆,便状若疯狂。我既是要伪装成他亲信,旁人侮辱他,我岂能坐视不理?所以……”
聂明玦道:“很好,看来以往这些事你也没少做。”
孟瑶叹了口气,道:“身在岐山。”
蓝曦臣手上不退,叹道:“明玦兄,他潜伏在岐山,有时做一些事……在所难免。他做些事时,心中也是……”(第49章)

【孟瑶は言った。「温若寒は残忍で、少しでも命に背けば激高します。私は彼の側近を装うのに、主を侮辱した者をどうして見過ごすことができますか?ですから……」
聶明玦は言った。「上等だ。思うにこれまでも、少なからずこのような悪事に手を染めてきたのだろう」
孟瑶はため息をついた。「私は岐山にいたのです」
藍曦臣は手を退けることなく、静かに言った。「明玦兄、岐山に潜伏していれば、不本意だが避けられないこともあるはず。そうせざるを得ない時、きっと心中では……」】

 ここにおいても藍曦臣は、孟瑶の行いには情状酌量の余地があるとして、聶明玦の言葉に耳を傾けようとしません。孟瑶の性質に、己の知らない別の側面があることを頑なに疑おうとしないのです。
 しかしその根拠はというと「はず」「きっと」と己の想像を並べるに過ぎません。つまり藍曦臣が信じる孟瑶とは、彼の想像の中の孟瑶であり、今彼の目の前にいる孟瑶その人のことを見ようとはしていないのです。言い換えるならば、彼は己が信じたい孟瑶の側面だけを見て、知りたくない 姿からは常に目を逸らしているのです。
 しかし十余年もの間、義兄弟として側にいればいつまでも同じ側面ばかりを見ていられるわけではありません。魏無羨と藍忘機が聶明玦の遺体(『陳情令』では刀霊)に誘われるように事件の真相を追っていくなかで、金光瑶の異なる側面が世人の目にも、藍曦臣自身の目にも徐々に明らかになっていきます。

魏无羡道:“蓝宗主,你心中知道,嫌疑最大的那个人是谁,只是你拒绝承认。”(中略)
默然一阵,蓝曦臣道:“我明白,因为一些原因,世人对他误解颇多。但……我只相信这么多年来我亲眼所见的。我相信他不是这样的人。”(第46章)

【魏無羨は言った:「藍宗主、一番疑わしいのは誰か、あなたは分かっているはず。ただ認めたくないだけだ」(中略)
しばらく押し黙り、藍曦臣は言った。「何がそうさせるのか、世人は彼に対し誤解がある。しかし……私はただ、長年この目で見てきたものだけを信じている。彼はそのような人ではないだろう」】

蓝曦臣以手支额,像是忍耐着什么一般,沉声道:“忘机,我所知的金光瑶,和你们所知的金光瑶,还有世人眼中的金光瑶,完全是不同的人!这么多年来,在我眼中,他一直是……忍辱负重、心系众生、敬上怜下。我从来坚信世人对他的诟病都是出于误解,我所知的才是最真实的。你要我现在立刻相信,这个人在我面前的一切都是假的,他设计杀害了自己的一位义兄,我也在他设计的一环内,我甚至助了他一臂之力……能否容许我更谨慎一些,再作出判断?”(第64章)
【藍曦臣は手を額に当て、まるで何かに耐えるように沈んだ声で言った。「忘機、私の知る金光瑶、お前たちの知る金光瑶、そして世人の目に映る金光瑶は全く異なっている。長年、私の目に映る彼は……屈辱を忍び、重責を負い、人々を顧み、上を敬い、下を哀れんできた。彼に対する世人の非難は誤解に基づいていると固く信じており、私の知る彼こそが真実であると。しかし、私の知る彼は全て偽りだと、すぐに信じろと言うのか?彼が自身の義兄弟を死に至らしめる計画を立て、私もその計画の一部にすぎず、彼に加担していたと……。慎重に判断する時間をくれないか?」】

 上記二つの引用は、事件の真相を追う魏無羨、藍忘機が得た状況証拠から、黒幕が金光瑶であることを推論し、藍曦臣へと訴える場面です。しかし、ここにおいても藍曦臣は金光瑶に対する世人の評価を〈誤解〉であると断じ、〈長年この目で見てきたものだけを信じている〉、〈私の知る彼こそが真実である〉と主張します。頑なに、己の信じる金光瑶の姿以外を真実として認めようとはしません。
 しかし先にも述べた通り、藍曦臣の信じる金光瑶とは彼の想像の中の金光瑶にすぎず、彼が〈長年この目で見てきた〉という金光瑶の姿が真実からほど遠いものであることは言うまでもありません。藍曦臣は、見たくない事実から目を背けることで、己の想像の世界を頑固に守り続けているにすぎないのです。
 かつて魏無羨が詭道を習得した時、藍忘機は〈修习邪道终归会付出代价〉【日本語訳:邪道を修めれば、代償を伴うことになる】(原作第62章)と魏無羨に忠告しました。魏無羨が邪道に身を落としていく姿は藍忘機にとって不都合な事実であったにもかかわらず、藍忘機はその事実から目を背けず、魏無羨のためにその行いを咎めることができる人でした。程度や姿勢こそ違えど、藍忘機と聶明玦の主張は同じで、彼らは相手を思うがゆえ、認めるがゆえに、その行いを咎め、否定し、正しい道を示すことができるのです。しかし、それが相手の心に上手く作用するとは限りません。
 対して都合の悪い事実から目を背けるという行為は、決して金光瑶のために行われているのではありません。自分が望むものしか見たくないという身勝手なエゴに過ぎないのです。

蓝曦臣原本也盯着那道帘子,只是迟迟没下定决心去掀。见不是他想象的东西,似乎松了一口气,道:“这是何物?”(第50章)
【藍曦臣はもともと垂れ絹を見つめていたが、ためらって帳をめくる決心ができなかった。彼は、そこにあるものが自分の最悪の想像とは異なっており、ほっとしたように見え、「これは?」と尋ねた。】

 ゆえに、藍曦臣は己の想像の世界が壊されることを恐れているのです。都合のいい想像で塗り固めた世界に閉じこもり、見たくないものは見ないし、聞きたくないものは聞かない。世人の見る金光瑶はすべて誤解と虚構の姿で、己の想像の金光瑶こそが真実である、と。
 つまり藍曦臣の行為は、己の「欲求」と「責任」の齟齬にうまく折り合いをつけているつもりで、その実、都合の悪い事実から目を背けることで己の欲求と責任の間の隔たりそのものを埋めようとしているにすぎません。己の欲求が責任によって妨げられるならば、欲求を正当化してしまえばいいと。何ら根本的な解決には至っていないわけです。
 幼い頃から無自覚的に、己の欲求をことごとく抑圧してきた彼には藍忘機のように、自身の欲求の善悪を判断し、自覚的に抑圧するということができないのです。物分かりの良い兄どころか、まるで聞き分けのない幼子のようです。人心、何より己の心に疎いがゆえのバグとしか言いようがありません。
 しかしそうしている間にも、彼の空想など知りもせず、現実は否応なく絶えず変化を続けるものです。彼が己の過ちを自覚した時には、すでに取り返しのつかない状況に陥っています。

金光瑶道:“事到如今,多做一样少做一样,还有区别吗。”
沉默片刻,蓝曦臣道:“你是为了抹灭痕迹吗。” (中略)
金光瑶道:“不全是。”
蓝曦臣叹了一声,没接下去。金光瑶道:“你不问我为什么吗?” 蓝曦臣摇摇头,半晌,答非所问道:“从前我不是不知道你做过什么事,而是相信你这么做是有苦衷的。”
他又道:“可是,你做的太过了。而我也……不知该不该相信了。”
他语气里带着深深的疲倦和失望。(第105章)

【金光瑶は言った。「こうなっては、事実が増えようが減ろうが、同じことでしょう」
しばらくの沈黙の後、藍曦臣は言った。「すべては痕跡を一掃するためか」
(中略)
金光瑶は「すべてではない」と語った。
藍曦臣ため息をついて、言葉を続けなかった。金光瑶は「理由を聞かないのですか?」と言った。
藍曦臣は首を振って、その問いへの答えをはぐらかした。「これまで、お前の所業を知らなかったわけではないが、きっと苦渋の決断だろうと信じていた」 彼は続ける。「しかし、お前は悪事に手を染めすぎた。私はもう……信じるべきかどうかわからない」
彼の口調には深い疲労と失望があった。】

 観音殿で金光瑶の悪事が明らかになった時、藍曦臣は〈お前の所業を知らなかったわけではない〉と語ります。〈きっと苦渋の決断だろうと信じていた〉とも。ようやく己の「見ないふり」を自覚した藍曦臣ですが、すでに手遅れです。彼が見て見ぬふりを続け、空想に逃げて咎めなかった時間の長さだけ、金光瑶の悪事は積み重なり、義兄弟の殺害に留まらず、実子を殺め、父を殺め、妻を死に至らしめた。
 それでも金光瑶は同情がほしい。そうしてできた隙につけ込んで、命だけは見逃してほしい。やむを得ない事情があったのだと、己の境遇がいかに不遇なものであったか、きっと藍曦臣であれば理解を示してくれる。金光瑶には藍曦臣に対するそのような期待があり、ゆえに彼は〈你不问我为什么吗?〉と藍曦臣に尋ねます。
 しかし藍曦臣はその問いに答えることを拒絶します。〈而我也……不知该不该相信了〉。藍曦臣は金光瑶の悪事が明らかになった途端、釈明も聞きたくないと彼を拒絶します。見たくないものは見たくないし、聞きたくないものは聞きたくない。あまりにも身勝手で、無神経な行いです。
 孟瑶が金氏の子弟を殺害する一部始終を目の当たりにし、激高した聶明玦でさえ〈你有什么逼不得已?〉という言葉を孟瑶に与えました。目の当たりにした事実と、孟瑶の釈明、その両方をもって公平な視点から罪と断じ、償わせようと。しかし藍曦臣は金光瑶に〈你有什么逼不得已?〉という言葉さえ与えませんでした。

魏无羡心知蓝曦臣对这个义弟多少还是留着几分情面的,总存着一丝莫名的期望,非给他这个说话的机会不可。恰好他也有些东西想听听金光瑶怎么说,于是侧耳细听。(第106章)
【魏無羨は、藍曦臣がまだこの義兄弟にいくらかの愛情を捨てきれず、漠然としたわずかな期待から、彼に話す機会を与えない訳にはいかないことを理解している。偶然にも、彼は金光瑶が語った内容を聞きたがったので、注意深く耳を傾けた。】

蓝曦臣眉目间有痛色,道:“纵使你父亲他……可你也……” 终是想不出什么合适的判语,欲言又止,叹道:“你现在说这些,又有何用。”(第106章)
【藍曦臣は悲痛な表情を浮かべた。「たとえ父親がそのような男であっても……お前は……」 結局のところ、彼は適切な言葉を続けることができず、言い淀み、ため息をついた。「今更言ったところで、何になる」】

 これ以降ずっと、藍曦臣の心は己の「欲求」「責任」「現実」「想像」をうまく処理することができず、エラーを起こし続けます。金光瑶の行いを罪と断じたからには釈明など聞くべきではない、しかし情状酌量の余地あらば免責の機会を与えたい。ゆえに、金光瑶が話し始めれば耳を傾けるが、それに理解を示すことは己の立場が許さない。
 今までそうであったように、ここに至っても己の欲求と責任に折り合いをつけることができない藍曦臣は、この状況のなかで正常な判断力や思考力を奪われていきます。それまで器用に見るもの/見たくないものの取捨選択を行ってきた藍曦臣ですが、此処では何を見ればいいのか、何を見てはいけないのか、適切な判断ができないのです。
 そしてこの思考の停滞が、最後の悲劇につながるわけです。

那边蓝曦臣给金光瑶处理伤口,见金光瑶疼得快晕过去了,原本想借此惩戒他一番的蓝曦臣终究还是于心不忍,回头道:“怀桑,方才那瓶药给我。” 聂怀桑吃了两粒止了疼便把药瓶收进怀里了,忙道:“哦,好。”低头一阵翻找,摸出来正要递给蓝曦臣,突然瞳孔收缩,惊恐万状地道:“曦臣哥小心背后!!!”
蓝曦臣原本就对金光瑶没放下提防之心,一直绷着一根弦,见了聂怀桑的表情,加上他这声惊呼,心中一凉,不假思索地抽出佩剑,往身后刺去。
金光瑶被他正正当胸一剑刺穿,满脸错愕。
(中略)
蓝曦臣看起来失望至极,也难过至极,道:“金宗主,我说过的。你若再有动作,我便会不留情面。”
金光瑶恶狠狠地呸了一声,道:“是!你是说过。可我有吗?!”
他在人前从来都是一副温文尔雅,风度翩翩的面孔,这时居然露出了如此市井凶蛮的一面。见他这幅大为反常的模样,蓝曦臣也感觉出了什么问题,立即回头去看聂怀桑。金光瑶哈哈笑道:“得了!你看他干什么?别看了!你能看出什么?连我这么多年都没看出来呢。怀桑,你可真不错啊。”(第108章)

【藍曦臣は金光瑶の傷の手当てをしていた。金光瑶が痛みで気を失いそうになるのを見て、元々彼を罰して戒めるつもりだった藍曦臣は結局忍びなく、ふり返って言った。「懐桑、さきほどの薬瓶をくれ」 聶懐桑は痛みを和らげるために薬を飲み、薬瓶を袖の中へとしまったが、慌てて「ああ、わかった」と返事をした。彼はうつむいてしばらく懐を探り、それを見つけて藍曦臣に渡そうとした時、慌てふためき、ひどく驚いたように叫んだ。「曦臣哥、後ろに気を付けて!!!」
藍曦臣は元々金光瑶への警戒を怠らず、常に神経を尖らせていた。聶懐桑の表情を見て、その上彼が慌てて叫ぶので、血の気が引き、考える間でもなく即座に剣を抜き、身を翻して後ろの男に突き立てた。
金光瑶は剣に胸を貫かれ、その表情は驚愕の色に満ちている。
(中略)
藍曦臣は心から失望し、悲しんでいるように見えた。「金宗主、言ったはずだ。もし抵抗すれば、私は容赦しないと」
金光瑶は忌まわしげに言った。「そうです!あなたはそう言った。しかし、私が抵抗しましたか?」
彼は常に、人前では温和で、品があり、愛想よく振る舞っていた。そしてこの時、彼は実際に残忍な顔を見せた。常とは異なる彼の様子を見て、藍曦臣は疑問を抱き、すぐに聶懐桑を振り返った。金光瑶は笑った。「無駄です!なぜ彼を見るのですか?見ないでください!あなたに何が見えますか?長年、私でさえ気づかなかったのに。懐桑、あなたはとんだ食わせものだ」】

 この時、藍曦臣が判断の基準としたのは〈聶懐桑の表情〉です。彼は金光瑶が本当に己に敵意を向けたのか、金光瑶その人自身を見ることなく判断したのです。
 この場面、ドラマ『陳情令』においては、金光瑶を振り返った藍曦臣は両目を固く閉じており、金光瑶を見ることを完全に拒絶しているのですね。金光瑶を罪人と断じて異なる側面をもう見たくなかったのか、あるいは、信じていた男が己に刃を向ける現実を見たくなかったのかもしれません。どちらにしろ、藍曦臣は金光瑶を「見ない」という選択をしました。身勝手なエゴのために、彼は無抵抗の金光瑶の胸に剣を突き立てたのです。
 金光瑶は問います。〈你能看出什么?〉あなたに何が見えますか?と。金光瑶の言うとおり、長年ずっと己の見たいものだけを都合よく見続けた藍曦臣に、今更公平な視点で真実を見抜けるはずがないのです。藍曦臣の目は身勝手なエゴのために、あまりにも曇りすぎています。彼の見ないふりが、彼にとっては最悪の結末を招いたわけです。

(この状況で金光瑶と共に死ぬことを受け入れた藍曦臣と、それを望みながら最終的には藍曦臣を拒絶した金光瑶については、物語論の観点から別稿で触れたいのでここでは割愛します。)

 観音殿の崩壊後、藍曦臣は聶懐桑に尋ねます。

蓝曦臣扶额的手背上筋脉突起,闷声道:“……他究竟想怎样?从前我以为我很了解他,后来发现我不了解了。今夜之前,我以为我重新了解了,可我现在又不了解了。”
没有人能回答他,蓝曦臣惘然道:“他究竟想干什么?”
可是,连和金光瑶最亲近的他都不知道,旁人就更不可能会有答案了。(第110章)

【藍曦臣は額に手を当て、はっきりしない声で言った。「……一体、彼は何を望んでいたのだろう。以前は彼をよく知っていると思っていたが、それが思い違いであったとわかった。今夜までに、もう一度理解したと思ったが、今はまたわからない」
彼に答えることができる者は誰一人いない。藍曦臣は呆然として言った。「彼は一体何を望んでいたのだろう?」
たとえ金光瑶に最も近しい彼でさえ答えを知らず、まして、世人に答えることなどできるはずがない。】

 〈从前我以为我很了解他〉という一節、『陳情令』では〈私こそが彼の理解者〉と字幕がついていました。翻訳者の方にひざまずいて金一封を贈呈したい。〈私こそが彼の理解者〉。自惚れも大概にしてほしい。エゴイズムの極致です。そうなのです、藍曦臣の金光瑶に対する行いは、最初から最後まですべて己のための身勝手なエゴにすぎないのです。
 理解者でありたい、恩人に報いたいという欲求から金光瑶の行いを咎めることができず、しかし世家の家主という立場である以上、気づいたからには見逃せない。己の欲求と責任の間で板挟みになり、その結果、彼はどちらか一方を選ぶことができず、都合の悪い事実から目を背けることを選んだのです。彼は最後まで「金光瑶のために」どうするべきかという、相手を慮る視点を有することができませんでした。

 藍曦臣の「見たいものだけを見ていたい」という、自分の空想の世界に身を隠す悪癖。実はこれ自体も、彼の幼少期の環境に直接的に由来するものです。

他道:“蓝夫人一定是个很温柔的女人。”
蓝曦臣道:“我记忆里的母亲,的确是这样的。我不知道她当年为什么要做那样的事,而事实上,我也……”
他深吸了一口气,坦白道“并不想知道。”(第64章)

【魏無羨は言った。「藍夫人は、きっと優しく穏やかな女性だったのでしょう」
藍曦臣は言った。「私の記憶にある母は、確かにこのような人だった。その当時、なぜ母がそのようなことをしたのか分からないが、実を言うと、私も……」
彼は深く息を吸って、「知りたくない」と告白した。

 藍曦臣が己の目で見た母の姿と、叔父の口から語られる母の姿の間には、埋められない隔たりがありました。月に一度、目にする優しい母の姿が彼にとって真実である一方で、父の恩師を殺めたという母の姿もまた真実に違いなく、この事実は彼の信じる母の姿を常に否定し続けます。
 ゆえに彼は、己の目に映らない母の姿を〈知りたくない〉のです。それがたとえ真実であったとしても。己の目で見た優しい母の姿だけが真実であってほしい。そのために知りたくない真実からは目を背ける。このように彼は、幼い頃から自分の想像力に非常に頑固に生きてきたのです。

 観音殿で金光瑶が犯した悪事の真実を知り、彼の想像の世界が一晩で崩壊したあと、藍曦臣がどうするかというと彼は〈整天闭关〉(原作第113章)します。一日中寒室に籠って、世俗と一切の関わりを絶つのです。結局彼は見たくないものから目を背けることしかできず、己の世界に閉じこもり、またもや何も見ないことを選びます。

能拆穿亲弟弟的小心思并不代表也能拆穿别人的,能成为家主也并不非要心思深沉明察秋毫,……(後略)(著者あとがき)
【藍曦臣は弟の思考を暴くことができるが、それは決して、他者の心を暴けるという意味ではない。また家主であるということは、思慮深く、細やかな気配りができるという意味ではない。……(後略)】

 上記の引用は『魔道祖師』著者、墨香銅臭氏によるあとがきです。
 本来、人心を理解するには経験が必要不可欠で、何を言えば人は喜ぶのか、あるいは怒るのか、何を言われれば自分は喜ぶのか、怒るのか、それらは人との関わりを通して学んでいく必要があるものです。しかし、自身の心を抑圧し続け、かつ外界から隔絶された雲深不知処で一定以上の教育を受けた者としか関わってこなかった藍曦臣には、これらの経験が圧倒的に不足しているのですね。
 長年厳格な叔父に接し続けてきたおかげか、礼儀礼節は必要以上に身についており、善悪の判断も限りなく公平に近い視点を持っている。ゆえに彼は他者を不快にさせることはなく、一見誰とでも調和がとれているように見えます。
 また藍忘機の表情を読み取り、その感情もある程度理解できるのは、彼と長年兄弟として身近に接してきた経験があるからです。ゆえに、その経験が他者にも通じるかというと、そう都合よくはいきません。
 一見、誰よりも慈悲深く、誰よりも人心の機微に敏いように見え、その実誰より人心に疎い。藍曦臣には、他者を意図的に喜ばせることもできなければ、意図的に傷つけることもできません。彼は無自覚的に多くの人を幸福にしてきた一方で、無自覚的にいくらかの人を傷つけてきました。金光瑶はきっと、そのうちの一人にすぎないのです。

『魔道祖師』における異母兄弟 ―聶懐桑と金光瑶の二項対立的人物論―

 今年3月から日本でTV放送が開始された中国のブロマンスドラマ『陳情令』。古代中国の神仙思想が背景となるファンタジー時代劇で、登場するのは跋扈する死霊や邪鬼を退治する仙術者たち。彼らが世俗の陰謀に翻弄されながら怪事件の真相を解き明かしていくという、武侠ドラマとしては王道的なストーリーです。
 本作は中国の人気作家、墨香銅臭氏によるBL小説『魔道祖師』が原作原案となっており、中国本国ではアニメ、ラジオドラマ等のメディアミックス作品も多く展開されている人気コンテンツです。嬉しいことに、日本でも9月よりWOWOWにて『魔道祖師』日本語字幕版アニメの放送が発表され、さらに8月より同じくWOWOWにて、実写ドラマ『陳情令』がリピート放送される旨も告知がありました。
 これを綴っている筆者は3月からの放送でドラマ『陳情令』を視聴し、またたく間に夢中になり、ドラマの放送とほぼ同時進行で中国語版の原作小説を読みました。原作小説とドラマ版では諸事情により設定の異なる部分が多く見受けられるのですが、ドラマ『陳情令』ではその差異のほとんどが上手く辻褄を合わせ処理されており、脚本演出の熱意と手腕には敬服のほかありません。が、一点だけ、必要な設定がドラマ版では描写されておらず、些細ながら重要であるはずのその設定についての覚書の意図と、あわよくば今後本格的に日本で展開されるであろう本コンテンツのタイトルだけでも、一人でも多くの方の目に触れればという出来心で筆者は筆を執っています。

 『魔道祖師』原作では、二組の「異母兄弟」が描かれています。一組目は、金光瑶/金子軒/莫玄羽の三人、二組目は、聶懐桑/聶明玦の二人。ドラマ『陳情令』では、聶氏の二人の兄弟が「異母兄弟」であるという設定が語られていなかったように思うのですが(見落としでしたらすみません)、この設定は金光瑶と聶懐桑/聶明玦の人物像を考える上で、かなり重要な、欠けてはならない設定であると筆者は思うのです。著者である墨香銅臭氏も、意図的にこの二組を「異母兄弟」として描いていることはほぼ間違いないでしょう。
 よって、本稿ではこの設定から読み取ることのできる二組の異母兄弟、特に金光瑶と聶懐桑の二項対立的人物論を展開していきます。なお以下の文章には、原作小説『魔道祖師』、ドラマ『陳情令』および、ドラマ番外WEB映画『乱魄 Fatal Journey』のネタバレを含みます。

1、兄明玦の「異母兄弟」として描かれる聶懐桑

 まずは、聶懐桑と聶明玦が異母兄弟である旨が記されている部分を原作本文から引用します。以下、中国語版小説本文と、筆者による日本語訳です。日本語訳はなるべく意訳はせず、直訳に近い形で違和感のないよう訳していますが、もし誤訳等ありましてもご容赦ください。

那名少年立刻蔫了。这位是清河聂氏的二公子聂怀桑,其兄长聂明玦作风雷厉风行,在百家之中素有威名。虽说兄弟二人非是一母所生,但感情甚笃,聂明玦教导小弟极其严格,对他功课尤为关心。是以聂怀桑虽敬重他大哥,却最害怕聂明玦提起他的课业。(第13章)
【その少年はすぐにしょんぼりとした。彼は清河聶氏の第二公子聶懐桑で、その兄である聶明玦は厳格かつ迅速な人物として、仙門百家の中でも威名がある。二人の兄弟は腹違いだが、その愛情は非常に深く、聶明玦は弟を極めて厳しく教育し、とりわけ勉学には熱心である。ゆえに、聶懐桑は兄を尊敬しているが、聶明玦が彼の勉学について言及することを最も恐れている。】

 聶懐桑と聶明玦、二人の兄弟が〈腹違いだ〉という設定は、上記の第13章で初めて言及されて以降、作中において一切触れられることはありません。異母兄弟ゆえに、二人の兄弟の関係がよい、悪いという話は一切展開されないのです。つまり、二人が異母兄弟であるという設定は兄弟、あるいは明玦、懐桑個人に付加された設定ではなく、作中で描かれる他の「異母兄弟」との対比のために付加されたと考えられます。そして他の「異母兄弟」とは、金光瑶/金子軒/莫玄羽の三人に他なりません。
 上記の引用部を見ると、聶懐桑の母親についての記述は一切なされていません。しかし物語時点において、聶懐桑は少なくとも聶氏に認められ、聶氏の姓をもらっていることが明らかです。聶明玦が家主を継いでいることを踏まえると兄明玦は清河聶氏前宗主の嫡子であり、聶懐桑は側室の子、あるいは婚外子であると考えられます。『魔道祖師』作品世界の婚姻制度がはっきりとはわからないため懐桑についてはあくまで推測にすぎず、どちらとも断定はできないのですが、聶明玦が嫡子であることは間違いないでしょう。
 そして兄弟間の〈愛情は非常に深〉いという記述。ふたりの異母兄弟の関係は、非常に良好であることがうかがえます。具体的にどう良好かというと、兄明玦は弟懐桑を非常に甘やかし、弟を害するものから守ることに心血を注いでいます。そして懐桑もまた、そんな兄に守られる立場に甘んじているのです。以下、原作本文の引用です。

 聂怀桑想了想,竟流露出羡艳向往之情,道:“其实魏兄说的很有意思。灵气要自己修炼,辛辛苦苦结金丹,像我这种天资差得仿佛娘胎里被狗啃过的,不知道要耗多少年。……(後略)”  (中略)若是世家子弟结丹年纪太晚,说出去都颜面无存,聂怀桑却半点也不觉羞愧。(第14章)
【聶懐桑はしばらく考え、その表情に羨望の色を浮かべて言った。「実際、魏兄の言ったことは面白い。霊気は自分で修練し、苦心して金丹を形成する必要があるけど、私みたいに資質が母の腹の中で犬に食われたように劣っていては、何年かかるかわからない。……(後略)」 (中略)金丹を形成する年齢が遅ければ、それは世家の子弟にとって不名誉なことであるが、聶懐桑は少しも恥じる様子がない。】

 当年魏无羡与聂怀桑同窗,对这人倒也能说上两句。聂怀桑为人心肠不坏,并非不聪明,但他无心向学,聪明都用在了别处,画扇捉鸟逃学摸鱼,于修炼一道确实天资奇差,硬生生比其他家族的同辈子弟晚八九年才勉强结丹。聂明玦生前时常恨铁不成钢,对他管教甚严,然而他依旧烂泥扶不上墙。(第21章)
【その当時、魏無羨は聶懐桑と同窓であったため、この人についていくつか言えることがある。聶懐桑は心根が悪いわけでなく、決して聡明でないわけではないが、彼は学問に関心がなく、彼の賢さは全て他の用途で発揮された。扇面を描き、鳥を捕まえ、勉強をさぼって怠けて、修練における資質は実際に悪く、金丹を形成するまでに他の世家の同年代の子弟たちより八、九年時間がかかった。聶明玦は生前、弟が熱心でないことを残念に思い厳しく教育したが、彼は相変わらずの様子であった。】

聂怀桑冲聂明玦吼道:“刀刀刀!妈的谁要练那破玩意儿?!我乐意当废物怎么着?!谁爱当家主谁当去!我不会就是不会不喜欢就是不喜欢!你勉强我有什么用?!”(第49章)
【聶懐桑は聶明玦に怒鳴った。「刀、刀ってうるさいな!誰があんなくだらない玩具を練習するって?!私が役立たずだからなんだっていうんだ?!家主にはなりたい人がなればいい!私はやらないと言ったらやらないし、嫌だと言ったら嫌なんだ!私を無理強いして何になる?!」】

 上記三つの引用からわかるように、聶懐桑は兄が家主を継ぎ、家と自分を守ってくれるのをよいことに、遊びたい放題、わがまま放題の様子です。この点については、ドラマ『陳情令』番外WEB映画『乱魄』においても詳細に描かれています(原作には相当するシーンやセリフが見当たらないため、あくまでドラマ『乱魄』オリジナルの追加描写であると思われます)。
 作中、兄明玦は弟に〈只要有大哥在一天,你想做什么我都会着护你〉【日本語訳:「この兄がいる限り、お前がこれから何をしようと俺が守ってやる」】と誓います。それも、作中で二度も誓うのです。一度目は、兄弟の幼少期。二度目は、懐桑に祭刀堂と刀霊の真実を告げた時。時系列としては魏嬰の死後、金光瑶が清心音に隠した邪曲の旋律で聶明玦を謀殺しようと企てていた時点です。さらに、原作小説では以下のような会話も展開されています。

金光瑶道:“大哥你近来对怀桑越逼越紧, 是不是刀灵……?”顿了顿,他道:“怀桑到现在还不知道刀灵的事么?”
聂明玦道:“为何要这么快告诉他。”
金光瑶叹了一口气, 道:“怀桑被宠惯了,可他没法一辈子做闲散清河二公子的。……(後略)”(第50章)
【金光瑶は言った。「大哥、あなたは最近、懐桑に対してますます厳しくなっています、これは刀霊の影響ですか……?」しばらくして、彼は「懐桑はまだ刀霊のことを知らないのですか?」と尋ねた。
聶明玦は言った。「なぜそんなに早く告げる必要がある?」
金光瑶はため息をついた。「懐桑は甘やかされることになれていますが、彼は生涯を清河の次男としてのんびり過ごすことはできません。……(後略)」】

 この引用部からわかるように聶明玦は、弟懐桑を厳しく教導する一方で、自分が守ってやりたいという心から弟に家の責任を負わせることをためらっています。つまり、聶懐桑は嫡子である兄に大切に守られ、甘やかされることで、家に対する責任とは無縁に生きてきたのです。
 これはあくまでも予想にすぎないのですが、彼らが異母兄弟ではなく聶懐桑も嫡出子であったなら、彼自身の責任感も、兄の接し方もいくらか違ったのかもしれません。作中で彼ら異母兄弟とは対照的に、同一の両親の間に生まれた兄弟として描かれているのは藍曦臣/藍忘機の兄弟ですが、弟である藍忘機は初め、藍氏の家規を忠実に守り、真剣に修練に取り組み、世家の危機にはすぐに駆けつけ、子弟たちの模範として兄や叔父、藍氏全体を支える人物として描かれています。後に魏無羨と出会うことで彼の在り方も変化するのですが、そもそも藍氏自体が子弟に普通ではない教育を行う一門であるため、聶懐桑と藍忘機を単純に比較することはできません。しかし、聶明玦/聶懐桑が「異母兄弟」であること、言い換えれば聶懐桑が嫡出子でないことは、彼の仙門世家に対する関心の希薄さ、また聶氏という己の世家全体に対する責任の欠落と決して無関係ではないと言えます。

2、私生児として描かれる金光瑶(孟瑶)

 一方で、金光瑶は聶懐桑とは異なり、婚外子であることが原作小説『魔道祖師』においても、実写ドラマ『陳情令』においても繰り返し描写されています。以下、原作本文からの引用です。

 金光瑶的母亲是云梦一所勾栏的名人,当年素有烟花才女的美名,据说弹得一手好琴,写得一手好字,知书达理,不是大家闺秀,胜似大家闺秀。当然,再胜似,说出去到了人家嘴里,娼妓还是娼妓。金光善偶经云梦,自然不能错过这位当时风头正劲的名妓了。他与孟女流连缱绻数日,留下信物一枚,心满意足,飘然离去。回去之后,当然也和以前无数次一样,把这个风流一度的女子抛之脑后了。(第48章)
【金光瑶の母親は雲夢のある妓楼で有名な人物で、当時才能ある妓女として名声があり、聞くところによると琴の音は美しく、字は達筆で、教養があり礼儀正しく、名家の娘ではないがそれに勝ると言われていた。とはいえ、どんなに勝っていたとしても、世間の人々に言わせれば妓女は所詮妓女に過ぎない。金光善が偶然雲夢を訪れた時、当時脚光を浴びていたこの妓女を見逃すことなど当然できなかった。彼は孟詩と離れ難く数日居座り、関係の証となる品を一つ残すと、すっかり満足し、ふらりと去っていった。当然、その後彼が戻ってくることはなく、以前無数の女性たちにそうしてきたように、この美しい女性は置き去りにされた。】

 娼妓之子,比不得良家之后,孟女独自为金光善产下一子,如莫二娘子一般,前等后等,心心念念盼着这位仙首回来接走自己和孩子,并悉心教导孟瑶,为他将来进阶仙门做准备。然而,儿子长到十几岁,父亲仍旧没有消息传来,孟女却已病危。临终之前,她给了儿子金光善当年留下来的信物,让他上金麟台去求个出路。于是,孟瑶打点好行囊,从云梦出发了。跋山涉水,抵达兰陵,到了金麟台下,孟瑶被挡在了门外,他便取出信物,请求通报。(第48章)
【娼妓の子は良家の子と比べることすら許されず、孟詩は一人で金光善の子を産み、莫家の次女にそうしたように、いつか金光善が自分と子供を迎えに来るのを心から待ちわびて、息子が将来、きっと仙門世家に受け入れられると信じて彼の教育に全力を傾けた。しかし息子が十代の時、まだ父の知らせはなかったが、孟詩の病は危険な状況であった。彼女は亡くなる前に、金光善が当時残した証拠の品を息子に渡して、金麟台へ行くように願った。そして、孟瑶は荷を整え、雲夢を発った。山を越え川を渡り、長い道のりを歩いて蘭陵に到着した孟瑶は、金麟台の下の門前で払われ、証拠の品を取り出してすぐに取次ぎを求めた。】

 金光瑶の母、孟詩は〈妓女〉です。金光瑶は母が亡くなるまで、母と共に夢雲の妓楼で暮らしていました。孟詩は、いつか息子が父に認められ、仙門世家で立派な立場を得られることを信じて彼の教育に心血を注ぎましたが、いくら待てども父の迎えはなく、死の直前に蘭陵へと孟瑶を送り出しました。孟詩の願いは孟瑶が金光善に認められ、蘭陵金氏で立場を得ることであり、孟瑶は母の最期の願いを叶えるため金麟台を訪れます。
 この後のことは『陳情令』を視聴済の方は既にご存知の通り、彼は訪れた金麟台の階段を、一番上から一番下まで蹴落とされ、追い返されます。その頃金麟台では、彼の異母兄弟であり、金光善の嫡子で金氏の後継者である金子軒の誕生日を祝う祝宴が催されていました。孟瑶は自身を守り育ててくれた母を失い、父には息子と認められず、帰るべき一門から追い出され、母の願いを叶えるどころか一人路頭に迷うこととなります。
 この時点で、聶懐桑と金光瑶、二人の「異母兄弟」の共通点と相違点が見えてくるはずです。二人は「家を継ぐべき嫡子」に対する「異母兄弟」という同様の出自で描かれているにもかかわらず、一方は世家に認められ、その姓を名乗り、異母兄弟に守られ甘やかされている。対してもう一方は、世家に認められず、階段を蹴落とされた挙句、「娼妓の子」と実の父や兄弟たちに嘲られているのです。

3、悪意と報復、正義と犠牲の在り処

 先の章で述べた通り、金麟台を訪れるも父に認められず追い返された孟瑶ですが、その後も母の願いを叶えることを諦めません。以下、原作本文の引用です。清河聶氏で聶明玦の副使という立場を得た孟瑶が、清河を訪れた藍曦臣と会話をしている場面を一部引用します。

蓝曦臣道:“不必如此拘谨。我记得你对我说过,希望在兰陵金氏能取得一席之地,获得父亲的认可。现在你已在明玦兄旗下有了立足之地和可供施展的天地,此望是否依旧?”
孟瑶似乎屏息凝神起来,半晌静默,答道:“……依旧。”(第48章)
【藍曦臣は言った。「そのように気を遣わなくていい。私はあなたが以前、蘭陵金氏で地位を獲得し、父親の承認を得たいと言っていたのを覚えている。今のあなたは既に明玦兄の元で足場を固め、世界に影響を与えるだけの立場を得ているが、この望みは変わらないのか?」
孟瑶は息をひそめ、しばらく沈黙し、「……変わりません」と答えた。】

 金麟台を追い返された後、聶氏の副使となり地位と名誉を得た孟瑶ですが、しかし彼は母親の願いを叶えることを決して諦めていません。先に結論を述べると、金光瑶の行動原理、その根底にあるのは、いつでも一貫して「母の願いを叶えること」です。金氏の後継者として育てられた金子軒の「異母兄弟」であり、世家の承認すら得られない彼には、守るべき世家もなく、母亡き今となっては家族もなく、彼にとって重要なのは亡くなった母の願いと、それを託された己の身ひとつなのです。ゆえに彼は、母の願いを叶える己を邪魔するものを排除し、己の身に向けらえた悪意に悪意で報復することを選びます。
 ここで一度、原作小説と実写ドラマそれぞれにおいて、金光瑶が害したものとそうでないものについて再確認したいと思います。というのも、ドラマ『陳情令』では悪事のすべては彼が意図的に行ったこととして処理されているのですが、原作では意図的でないとされるものもあり、そのためドラマでは彼の行動原理が多少明確ではなくなってしまっているのです。
 まずは、原作、実写ドラマの間で改変なく、金光瑶が意図的に害したものと、その理由です。

  • 金氏(『陳情令』では聶氏)の子弟→日常的に見下されており、さらに薛洋と手を組んだことを悟られたため殺害

  • 聶明玦→聶氏の子弟を殺めたことを恨まれ続け、金氏で立場を得るため父に命じられ行った悪事を咎められたため殺害 ・秦愫→金氏内での立場を盤石なものとするため、異母妹と知りながら娶った

  • 阿松→金氏内での立場を脅かす可能性があったため殺害、さらにその責任を邪魔だった世家になすりつけ一門を謀殺

  • 金光善→母と自身を認めず嘲られたため殺害

  • 雲夢の妓楼→母と自身が虐げられため火を放ち妓女たちを殺害

 次に原作と『陳情令』の相違点です。

  • 金子勳の呪い→原作では蘇渉の独断で行われており、金光瑶は関与していない

  • 金子軒→原作では多少の苦労を味わうべきという出来心こそあったが、意図的に殺害したのではない

 上記の二人について原作では、金光瑶が温若寒を殺害した功績で金氏に迎えられて以降、関係が回復した旨の描写があります。よって金子軒、金子勳の二人は、この時金光瑶を害する存在ではなかったと言えます。

  • 江厭離→原作では魏無羨が力を制御できなくなった。金光瑶は関与していない

 このように列挙すると明確ですが、金光瑶が意図的に排除しているのは〈蘭陵金氏で地位を獲得し、父親の承認を得〉るという母の願いを邪魔するものたち、報復はその願いを叶える自身と母を害し、悪意を向けるものに対して行われているのであり、そうでないものを害することは基本的にはありません。それどころか、彼に善意を示した藍曦臣には善意で、彼を尊ぶ蘇渉には真心で接し、その昔、彼と母に唯一思いやりを示した妓女、思思の命を奪うことはしませんでした。
 さらに、雲夢の妓楼跡地に建設した観音殿には母の顔そっくりの観音像を建てています。かつて妓女と嘲られ、蔑まれた母親に、人々が跪き頭を下げるように。ここまで来ると、金光瑶が執着する母の願いは、願いというよりもはや呪いであると言っても過言ではありません。
 そして、この極めてエゴイズム的な行動原理の対比として描かれているのが、他ならぬ聶明玦です。以下の原作本文引用は、金氏が薛洋を擁護し匿っていることについて、金麟台で金光瑶と聶明玦が口論をしている場面です。金光瑶が彼の人生において三度目の階段落ちを経験することとなる直前の会話を引用します。

他抬起头,目光中有不明的火焰跳动,道:“不过大哥,我一直以来都想问您一句话:您手下的人命,只比我多,不比我少,为什么我当初只不过是迫于形势杀了几个修士,就要被你这样一直翻旧账翻到如今?”
聂明玦气极反笑,道:“好!我回答你。我刀下亡魂无数,可我从不为一己私欲而杀人,更绝不为了往上爬而杀人!”
金光瑶道:“大哥,我明白您的意思了,您是不是想说,你所杀者全都是罪有应得?”
不知道是从哪里来的勇气,他笑了两声,朝聂明玦走近了几步,声音也扬了起来,有些咄咄逼人地道:“那么敢问,您如何判定一个人是否罪有应得?您的标准就一定是正确的吗?设若我杀一人活百人,这是功大于过,还是罪有应得?欲成大事,总要有些牺牲的。”
聂明玦道:“那你为什么不牺牲你自己?你比他们高贵吗?你和他们不同吗?” 金光瑶定定看着他,半晌,像是终于下定了什么决心,又像是放弃了什么,冷静地道:“是。”(第49章)
【彼は頭を上げ、瞳の中に不明瞭な炎を揺らして言った。「大哥、わたしはずっと聞きたかった。あなたが殺めた命は私より少なくない、それなのになぜ、仕方なく数人の子弟を殺しただけの私が、いつまでもあなたに恨まれなければならないのですか?」
聶明玦は怒りに反して笑った。「いいだろう!では教えてやる。我が刀が葬った魂は数えきれないが、私は決して私欲のために人を殺めたことはなく、のし上がるためなどもっての外だ!」
金光瑶は言った。「大哥、あなたの考えはよくわかりました、つまりあなたが殺めた者にはすべて罪があると言うのですね?」
この勇気は一体どこから来たのか、彼は笑い、聶明玦にいくらか歩み寄り、声音は高揚し、驕ったように迫った。「では尋ねます、彼らが罪人だと判断する根拠は?その根拠は正しいですか?もし一人殺して百人を救えば、これは功績ですか、それとも罪ですか?大事を為すならば、多少の犠牲は必要です」
聶明玦は「なぜ己を犠牲にしない?お前は彼らより尊いのか?お前は彼らとは違うのか?」と尋ねた。
金光瑶はしばらく彼を見て、ついに決心でもしたように、また何かを諦めたように、静かに言った。「そうです」】

 自身の保身のために他者を躊躇なく害する金光瑶に対し、聶明玦は〈決して私欲のために人を殺め〉ず、〈己を犠牲に〉すると言います。では、彼が自身を犠牲にしてでも守りたいものとは何か。それは言うまでもなく、己の生まれた世家であり、清河の地であり、家族であり、そして弟です。聶明玦は、私欲のために他者を害した温氏の末路を見届けています。前宗主である父亡き後、聶氏の家主として、他家とともに正義を掲げて温氏に報復したのは彼でした。ゆえに、私欲で向けた悪意には必ず報復が待つことを、彼は身をもって知っているのです。
 彼のように家主として〈己を犠牲に〉し、家や家族、子弟たちを守るという立場は作中、望まないにもかかわらず温氏の残党討伐、あるいは夷陵老祖討伐に加担せざるを得なかった江澄や藍曦臣にも共通するものとして描かれています。仙門百家の傍若無人同調圧力に対し、彼らが自身の心に反して否を唱えることができなかったのは、家主という立場にあり、己の世家や家族、子弟をかえりみなければならなかったためです。彼らは自身の心を犠牲にして、彼らの家とその名声を守りました。
 対して金光瑶は、自分が何より尊いのだと言います。なぜなら彼には、かえりみるべき世家も、家族も、兄弟も存在しないのです。先に述べた通り、金光瑶にとって重要なのは母の願いを叶えることであり、母の願いを託された己の身ひとつを除けば、かえりみるものなど何ひとつないのです。ゆえに彼は、最愛の母と、その願いを託された己を害されることが何よりも耐え難い。
 そして、金光瑶はついに聶明玦を殺害します。ドラマ『陳情令』では薛洋に首を刎ねさせていましたが、原作小説では金光瑶自身が直接手を下しています。そして聶明玦の死後、己を害する悪意から守ってくれていた兄がいなくなったことによって初めて、聶懐桑は己に向けられた悪意を身をもって知ることになるのです。
 ここで言う悪意とは、金光瑶が清心音に隠した邪曲の旋律を弄し、刀霊に蝕まれる聶明玦の精神状態を悪化させたこと、また偽の清心音を聶懐桑に手ほどきし、聶明玦殺害の片棒を担がせたことです。後者については原作小説内に明確な描写を見つけることができなかったのですが(読みとばしている可能性があるので、該当の描写についてお気づきの方がいらっしゃいましたら教えていただけると嬉しいです)、『陳情令』番外WEB映画『乱魄』において描写が見られるため、こちらについて言及していきます。
 『乱魄』冒頭で金光瑶は聶懐桑に竹笛を与え、兄の精神が刀霊の影響で乱れた時、その笛で清心音を奏でるように教えます。しかし懐桑の知る清心音は当然ながら、金光瑶が清河を訪れて奏でる偽の清心音であり、懐桑はそれとは知らず邪曲の旋律を奏で、兄が刀霊に蝕まれてゆく様子を目の当たりにしてしまいます。
 先にも述べた通り、聶懐桑は「異母兄弟」ゆえに兄に守られ、甘やかされ、己の家族や世家に対する責任とは無縁の人生を歩んできました。彼は『乱魄』において〈就算我不是清河的二公子,我也是他唯一的弟弟〉【日本語訳:たとえ私が清河の次男でなくても、私は彼の唯一の弟】だからという理由で、生死もわからぬ兄を助けるため、己の命をかえりみることなく犠牲にしようとしました。この時、もし兄がすでに死んでいたとしたら、今後聶氏を支えていくのは己一人しかいないこと、自分まで命を落とせば、直系の子弟を失った清河聶氏がどのような末路をむかえるか。本来真っ先に考えなければならないはずの責任ですが、しかし、彼は他の子弟たちの説得を振り切ってでも兄を助けに行くことを選びます。聶懐桑にとって己の命を犠牲とするに値するのは、己の世家でも数多の子弟たちでもなく、自身を生涯守ってくれる唯一の兄、ただ一人だけなのです。
 その兄が、突然死んでいなくなった。自身と家を守ってくれる兄がいなくなり、聶懐桑は重くのしかかる責任と、向けられた悪意に直面します。
 そのような男が報復のため、犠牲とするものを取捨選択する時、どんな判断をするかは金光瑶を見れば明白です。

 聶懐桑が十年もの時間をかけて集めた証拠は金光瑶の悪事を証明するのに十分であり、その当時いくら金氏が強大な権力と名声を誇っていたとしても、兄明玦が温氏に対してそうしたように正義を掲げて報復することも可能だったはずです。実際、仙門百家は金光瑶の悪事が明るみに出るや否や、証拠の信憑性など二の次で、手のひらを返したように、寄ってたかって金光瑶を断罪したがりました。聶懐桑がたった一言声をあげるだけで、他家の力を借り、聶氏の名声を地に落とすことなく、彼自身〈一問三不知〉などという不名誉な罵倒を受けることもなく、金光瑶を誅することは決して不可能ではなかったでしょう。
 しかし、聶懐桑はたとえ聶氏の名声を地に落とし犠牲にしたとしても、最後まで自身の正体を明かすことなく金光瑶に報復する道を選びました。それはつまり、彼が聶氏をかえりみるより、自身の名誉と保身を選んだということに他なりません。もし聶懐桑が声を上げたなら、金光瑶、あるいは金光瑶を慕う者が報復の対象を考えた時、真っ先にその標的となるのは他家を先導した聶懐桑です。彼はそれを恐れ、あくまで匿名のまま大局を支配することを選んだのです。以下、原作本文より、観音殿崩壊後の聶懐桑に言及する描写を一部引用します。

 聂怀桑此刻的满脸茫然和无奈, 也许是伪装。他不愿承认自己把旁人当做棋子,视旁人性命如无物,或者他的计划不止于此,他要隐藏真实面目做更多的事、达成更高的目标;也有可能根本没那么复杂,送信、杀猫、将聂明玦身首合一的另有其人,聂怀桑根本就是个货真价实的脓包。(第110章)
【この時、聶懐桑は呆然として無力な顔をしていたが、これは偽の表情だったのかもしれない。彼は人々を盤上の駒の如く支配し、他者の人生を空洞なものと見なしていること、あるいは、彼の計画がこれに留まらないことを認めたくないのである。彼は本当の顔を隠してさらに多くのことを為し、より大きな目標を達成しなければならない。彼の根本はそれほど複雑ではなく、おそらく手紙を送り、猫を殺し、聶明玦の頭部と身体を繋ぎあわせるには第三者の力が必要であり、聶懐桑の根本はあくまで正真正銘の役立たずである。】

 今后的数十年里,说不定清河聂氏的这位家主,会逐渐开始展露锋芒,继续给世人带来更多的惊讶呢。(第113章)
【今後数十年の間、ひょっすると清河聶氏の家主は、次第にその才能を示し始め、人々にさらに多くの驚きをもたらし続けるかもしれない。】

 一連の事件後、聶氏と彼自身の地位を回復した(かもしれない)という描写があることから、武勇に優れてはいなくとも、聶懐桑には元来家名を貶めることなく事を為すだけの手腕があったことは明らかです。それでも彼は最後まで、金光瑶殺害に至る一連の事件が自身の計画であることを認めず、あくまで白を切り続け、報復の真相を闇に葬ります。

 金光瑶道:“魏公子,你不是应该最清楚的吗?无冤无仇就能够相安无事?怎么可能,这世上所有人原本都是无冤无仇的,总会有个人先开头捅出第一刀的。”(第104章)
【金光瑶は言った。「魏公子、あなたが一番わかっているのではありませんか?恨みや確執がなければ無事でいられると?そんなはずがない、この世界の誰にも元々確執などなく、常に誰かが最初の一太刀を浴びせるのです」】

 こちら作中でも一、二を争うほど好きな台詞なのですが、金光瑶は本当に世俗の因果応報をよく体現している人物です。この場合、先に悪意を向け致命傷となる一太刀を浴びせたのは金光瑶であり、聶懐桑はその向けられた悪意に報復しました。まさに因果応報です。聶懐桑と金光瑶、彼らは「異母兄弟」であるがゆえに、聶明玦のように〈己を犠牲に〉して世家を守ることも、魏無羨のように〈己を犠牲に〉して見返りを求めず無数の弱者に手を差しのべることもできません。彼らには己以上にかえりみるものはなく、彼らが最終的に守りたいものは、いつだって自分自身なのです。
 彼らは「異母兄弟」という同じ言葉で表現される出自を持ちながら、その人生で味わった苦楽は正反対の道程であり、しかし最終的にたどり着いた答えはまたもや同じ結論でした。

 これは余談ですが、「家を継ぐべき嫡子」に対する「異母兄弟」という立場で描かれているもう一人の「異母兄弟」莫玄羽ですが、彼も最終的には自身を虐げた莫家の人々、そして金光瑶に私欲のために報復をする道を選びます。しかし、莫玄羽が聶懐桑、金光瑶の両者と異なるのは、報復のために魏無羨を犠牲にするとともに己の命すらも代償とした点です。というのも、彼にはもはや自分の身ひとつ以外に代償とするものなど、何も残ってはいなかったのです。それでも己の私欲のために、己の身を犠牲にして、最終的に報復をなし遂げたのですから、本末転倒とはいえ彼は彼自身を救うことができたのではないでしょうか。
 このように『魔道祖師』における「異母兄弟」は、「自分だけの救世主」として描かれています。彼らには大事を為すだけの力があり、素質があり、それを成し遂げるだけの行動力もありますが、彼らが最終的に自身を最もかえりみる以上、己以外のものを救うことはできません。
 そしてこれは、己を犠牲にし、弱者に手を差しのべ、多くの人々を救おうとした結果、最終的には誰一人救うことができず、自身すらも破滅を迎えた夷陵老祖魏無羨に対する究極の対比に他ならないでしょう。人物間の対比があまりにも美しすぎます。

 さらに余談ですが、実写ドラマ『陳情令』の番外WEB映画『乱魄』では、聶懐桑が兄明玦の死の真相を知り、金光瑶への報復を決意するまでの過程が描かれているのですが、この映画には「Fatal Journey」という副題があり、直訳すると「致命的な旅」となります。作中で旅をしているのは聶氏の兄弟と子弟たちであり、エンドロールの直前、ラスト数秒のシーンを見るまでは聶懐桑/聶明玦兄弟にとって「致命的な旅」を描くのだろうと思っていました。が、本作で描かれるのは誰より金光瑶にとって「致命的な旅」なんですね。
 もし、金光瑶が聶懐桑に竹笛を渡さなければ、聶懐桑を祭刀堂に連れていかなければ、聶懐桑は金光瑶の悪事の証拠を目の当たりにすることはなく、兄の死の真相は永遠に闇に葬られていたかもしれない。しかし、金光瑶は聶懐桑に竹笛を渡し、清心音を教え、祭刀堂に同行させた。上手く歯車が噛み合ったように、聶懐桑は金光瑶の悪事の証拠を手に入れてしまう。金光瑶にとって、これほど致命的な失敗は作中どこを探しても他にはないでしょう。『乱魄』本当に面白かったので、いつかWOWOW放送の『陳情令』本編と同じ方の日本語字幕で視聴の機会があればいいなと思っております。

 最初にも述べたのですが、8月よりWOWOWにて、実写ドラマ『陳情令』のリピート放送、また9月より同じくWOWOWにて 『魔道祖師』日本語字幕版アニメの放送が決定しています。オタクの発作のようなロスに優しい。恐らく、今後本格的に日本で展開していくコンテンツです。皆さんタイトルだけでもどうか覚えてください。